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取引と運命

(8月20日の日記)


つぶやきまとめ
8/13(一部改変)
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「人生のすべてを賭けずして極められる技などない」いやぁルネッサンス期の人もいいこと言ったもんだ。
学校や会社で何かに打ち込むのは誰でもできる。学校や会社という垣根が無意味になるくらい一生懸命になるにはそれが好きじゃないとできない。仕事や勉強が好きである必要はないけど好きだとより資源をかけ他分野より秀でることができる。
経済ぽく言うと好きであることにより限界費用が低くなり生産の均衡点が高くなるてことか。
普通は24時間という資源を限定的にしか使えてないんだからより多くの資源を注ぎ込めることはより多くの生産を約束する気がする。しかし好きであることが必ず有利であるとは限らない。なぜなら仕事における生産には値段がつき、それはそもそも仕事により大きな差があるからだ。
貧乏しながら好きなことする人もいれば金の為に好きでない仕事をする人もいる。金銭ではなく効用について拡張しても同じだろう。
しかし金の為に仕事をする場合給与体系が問題になる。なぜならプライベートに仕事しても金に反映されない。なぜなら金は成果よりも時間に払われているから。
もちろんプライベートに費やした努力は間接的に成果になり給与にも反映されるかもしれないが、その前に非効率な部分でナッシュ均衡があるだろう。
どうすればいいか。時間ではなく努力に応じた報酬にすればいい。これで金の為に仕事している人の生産性は上がる。
しかしオーナーでない限りその増分をすべてくれてやるわけにはいかない。そして個人の努力は見えないため代わりに観察可能な指標を置かなければいけない。
例えば医師の生産性を上げるために成果報酬を入れる場合何を指標にすれば良いか。公務員の場合は。重要なのはその指標が生産を代表していることと、指標をごまかされる可能性があることだ。歯科の売上歩合給なんて患者にとっては過剰診療を喚起するだけの迷惑なもんだ。
---------------
実は初め、柄にもなく恋愛について書こうとしてました。それこそこの日記のタイトルのようなことを。
柄にもなかったんで書いてるうちに自然に別な方向にいきましたが。
様々な形の男女関係をゲームとしてとらえると思考実験としてはおもしろいもんです。恋愛は理屈じゃなく本能であるけど、現実の世の中には理屈で割り切れる関係は腐るほどあるだろうと。

まぁ結局書かなかったのでもう書きませんが。


インセンティブ報酬は医療の世界でも取り入れられてるけど、そのほとんどが不適切な設計になってるのでは、というのが俺の考え方。
そもそも医師の場合、一般企業で使われる売上げという尺度で労働の価値を決められない。生み出す価値に対して適切な価格をつけることができないし、そもそも医師の目的はなんだという議論がある。診療科や病院環境、患者の属性、病気、重傷度などをコントロールすることができない。
また、専門性と業務の独立性が高く、隠された情報や隠された行動が数多くあることが予想される。

上にあげた歯科の歩合給なんてほんとに酷いと思う。
出来高払いの歯科で売上げによる歩合給なんて導入したら、ただひたすらに過剰診療を誘発するだけ。確かに大いに努力を引き出すインセンティブを与えるが、方向が違う。歯科医師側からみると生活の糧を稼ぐのに丁度良いシステムかもしれないが、患者にとって良いことはなく、そんな医院には絶対行くべきではない。


患者が相対するのは医師とコメディカルだが、彼らの行動は患者とは別のところからも影響を受けている。もしかしたら訴訟を恐れて過剰診療しているかもしれないし、病院の経営者から病院ランキングの指標を上げるために特定の診療に注意するよう指示を受けているかもしれない。

患者の側からすると病院内のことはわからないので情報公開を求めるなり、隠された行動がおこらないような契約をしなければいけないが、正直日本の患者は医師にくらべて圧倒的に弱く、そんなことはできないだろう。

ここでいろいろと考える。
患者にとっての一番よりも自分の儲けが優先する医師とその逆の医師がいると仮定してスクリーニングができるか。
例えば大学病院ならば医師の給料は低い。管理者の儲けるためのインセンティブも低い。ならば現場にそうした過剰診療のためのインセンティブがしかれてなく、医師もそれで良いと思っている人間が集まっているかもしれない。(ただ医師の立場からみると、大学病院で肩書き得ることはもしかしたら研究がうまいということのシグナルでしかないかもしれない。)
じゃあ患者第一の医師は大学病院以外にいないかというと、外の病院の方がより多くの患者を診れるかもしれない。
あぁ、患者第一というのが診療の質か量か定義していなかった。それに大学病院じゃ切り方が悪い。



が、なんか眠くなったのでここで終わり。
こういう風なことを連想してしまうので、つぶやきで最後まで書こうとしなくてよかったです。





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12月3日追記




患者からみて自分を診てもらう医師をどのようにスクリーニングするのか、というのは今後議論が興ってくる分野なのだと思う。個人的にもすべき事だと思う。
病院スクリーニングはすでに民間部門主導のランキングと公的部門主導の病院機能評価機構があるけど、基盤が整えば情報はどんどん精緻化される。患者にとっても病院も大切だけど、それ以上に自分を担当する医師の質が重要なわけだから。

逆に医師の側からすると、これまで卒業大学やら勤務病院という個人へのプレッシャーの低いシグナリングで済んでたのに、個人を特定されるとなると当然いろいろと反発がおきるだろう。
「やましいことがなければ公開すればいいじゃないか」
というのは明らかに物事を単純化しすぎたものの見方。社会の中で組織に属している以上、やりたくてもやれない状況というのが存在する。また、価値判断が医師側と患者側でそもそも違うという問題もある。


医師は何によって縛られるべきなのか。


非常に難しい問題。
ヒポクラテスの誓いは医学史上、9割9分まで正しい価値判断だったわけだけど、現在ではパターナリズムの象徴として正しくないとされる。すべて患者に決定させればいいものでもない。患者自身が自分で決定する事を望んでないかもしれない。科学的なエビデンスだろうか。確かに科学的であることは医療の正当性を保障するものだけど、不確実性が消えるわけではなく、目の前の患者さんにそれが本当に適応できるのかということはわからない。

この辺の制度設計には社会的なコンセンサスというのが重要なわけだけど、社会の範囲をどのように画定するのかがまた問題なわけだ。
政府の制度設計の問題なのだから社会というと国内全体を指しそうだけど、そう簡単でもない。
なぜなら医師は社会的威信の高い職業であり、その職業集団の中で独自の価値観をもっている。例え、全国民のコンセンサスを正確に制度に落とし込んだとしても、社会心理的に医師個人にはそれを破る理由があり、それが倫理的に問題であるという認識にも至らないことが予想されるからである。
こうした場合、社会と医師集団の間に深刻な溝ができ、大きな政治的コンフリクトを生む。それこそ盛大に「医療崩壊」などとキャンペーンが行われるだろう。


医療は社会的に重要であり、医療行為は非常に神聖な行為なんだろうと思う。
しかし、それとそれを行う医師個人の行動とは線引きをしなければならない。
医師個人にはそれぞれの極個人的な金銭的、社会心理的なインセンティブがあり、それに従うことに批判をすることは筋違いというものだろう。医師も人間。
そういった医師の個人的なものを認めることは医師の多様性を認めることになる。


これが医師の個人評価をすべき理由。


まだ医療の情報公開に関しては基盤すら整ってない状態なので5年以内にどうこうということはないだろうけど、それこそ20年30年後を見据える必要があるのだろう。
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夕焼け、医師不足

怒濤の6月が過ぎた。
7月は怒濤じゃないのかといえばその自信はない。
とにかく毎日が楽しいです。
いろいろと自分の事をプレゼンする機会がある度に自分のことを考え直すのだけど、その度に研修医にならず直接大学院にきてよかったと思う。



さて、昨日の大雨から一転、今日はとても良い天気でした。
夕日マニアな俺にとって今日のような日は日が暮れる頃に汗をかく事態になってしまいます。なぜなら絶景ポイントを探してチャリをこぎまくるから。

今日の収穫

yuyake1.jpg




撮った場所は五条通りと桂川が交わる西大橋上。おnewの携帯カメラにて。
東京だとあまり当てはまらないけど、橋の上というのは見晴らしが利いていいもんです。本当は久世橋が頭にあったんだけど、途中にあったこの橋で満足してしまいました。
ちなみにざっと10km走りました。


夕日を見るポイントというのは結構難しいもんです。
東京でも地上できれいな夕日が見えるポイントというのは山手線内では見つかりませんでした。
金がかからずなじみの場所で一番良かったのは東大の医学部教育研究棟14階。
ここは14階とそんなに高くはないけど本郷台という台地に立地していること、この会場をPBIのシンポジウムで使ってたことと、シンポジウムは18時くらいからでその準備してる時間はちょうど夕日が見れる時間だったことで結構お気に入りのポイントでした。

yuyake3.jpg


コンデジにて。
この写真だと見えないけど、運が良ければ富士山もきれいにみえます。


京都の場合、今お手軽に夕日が見れるポイントは自宅から直線距離100mくらいのところにある吉田山の斜面にたってる住宅地。


yuyake2.jpg


一眼レフ。
なかなかですが、最近研究室が入ってる棟の最上階からの眺めもなかなかだということを発見しました。



ただ、これまでの人生のベスト夕焼けは何を隠そう高松でとった瀬戸内海の夕焼け。

diary_24_44_12172444_220.jpg


携帯カメラにて。
8月最後の日曜日、ヨットマリーナであるジャズコンサートに行った時に撮ったものです。
空一面真っ赤。めちゃくそきれいでした。
ただこの時に携帯カメラしかなかった事が悔やまれます。




写真シリーズついでに先日とった紫陽花ものっけときます。

ajisai.jpg


花の写真はやっぱ一眼レフにかぎります。
場所は哲学の道の途中。ほんとは宇治近くにある紫陽花寺まで行きたかったけど、人がごったがえしてそうだし、人がいない早朝に行く余裕もなかったので断念しました。










さて、日記ついでに最近EXCELの練習がてらお遊びでまとめたネタ書きます。

最近巷を騒がす医師不足問題。
これをきちんと説明出来る人はいないのでは、というのが出発点。
なにしろ医師数は右肩上がりで増え続けているのに、最近になって病院が悲鳴を上げているというんだから実におもしろそうです。

isisu.jpg

右のカッコ内が総数で、線は紫から赤になるに従って最近のデータになってます。この年代別の増え方のばらつきは後でキモになります。

この形自体実に、実に興味深いですがあえてスルーします。

医師数は増えてるのに問題になる原因で、よくある説明が医師の偏在。
てことで分解してみました。


bunkai.jpg


ちなみに適当に書いたので全然MECEになってませんが、お遊びなのでご容赦を。
簡単に説明すると、

まず偏在には地域の偏在、診療科の偏在、所属の偏在があるだろう。
それぞれ本当だろうか。その原因と合わせて分析してみる。

○ 地域の偏在

henzai.jpg
資料:McKinse&Company(2008)「Japan_Healthcare_Provision.」

マッキンゼーの2008年のレポートからの拝借だけど全体的には西高東低で確かに偏在はありそう。

3つの枠組みからこの原因を考える。
・都会地方
都会が好きとか、地方が嫌いとかあるかもしれない。ちなみに医師数と人口はきれいな相関がある。(R2=0.9135)
・出生地生育地
生まれ育った土地にUターンすることが影響しているかもしれない。ある土地の教育水準が高ければUターンの結果その土地の医師の割合が高くなるかもしれない。教育水準とはいわないまでももしかしたら東の高校より西の高校の方が医学部志向が高いかもしれない。
・出身大学研修地
ふるさとじゃなくても長く住んでるとその土地に愛着が湧くかもしれないし、その土地で結婚するかもしれない。また、そうした人生の土台を決める年代を送る研修病院が偏ってるのかもしれない。


○ 診療科の偏在


sinryouka.jpg
資料:McKinse&Company(2008)「Japan_Healthcare_Provision.」

またもやマッキンゼーから拝借。これはOECD平均との比較だけど、確かに偏在はありそう。

そしてまたもや3つにわけて原因を考えてみる。
・仕事の密度量
診療科により医師にかかる労働負荷に違いがあるのだろう。また絶対量は違わなくても診療科により医師の選好の違いがあれば相対的に負荷が高くなるかもしれない。例えば女性医師ならば生活と両立がしやすい科とそうではない科があるだろう。
・リスク
よく言われるのは産婦人科の訴訟リスク。他にも内科よりは外科の方が訴訟リスクは高いかもしれない。また、感染症患者が多い科や被爆が多い科は医師に嫌われるかもしれない。
・対価
診療報酬にも高い安いがある。高い方に医師が多く集まってるのかもしれない。また金銭面以外にも患者からの「ありがとう」に診療科間のばらつきがあるかもしれない。



小児科と産婦人科がよく足りないと話題になるのでデータをまとめてみた。

年代別産婦人科医の推移
sanfujin.jpg


この図では各年代でバラツキはあるものの総数では微減傾向にあることがわかる。しかしそこは少子社会。出生数1000人に対する産婦人科医数は
9.07人(H10年)→9.18人(H20年)
とほとんど変化なし。
ちなみに各年代の医師数に対する各年代の産婦人科医の割合を見るとどの年代でも産婦人科医の割合は下がってる。
つまり勘のいい人ならお気づきかもしれないけど、10年間の変化のほとんどは50代の医師の増加(寄与度509%)によるもので、20代医師はと減少(寄与度-340%)してる。50代医師が引退する10年後20年後は大きな変化が予想される。
あとは60代が一回減少してまた増えてるのも興味深い。

年代別小児科医の推移
shounika.jpg


実におもしろい形をしてる。
各年代の医師に対する各年代の小児科医の割合でも20代、40代、70代で減少、50代で変化無しですが、30代(4.9%→6.0%)と60代(5.6%→6.5%)で増加してる。
ちなみに年少人口(-14歳)千人当たり小児科医を見ると
0.73人(H10年)→0.89人(H20年)
と大きく増えてる。
10年間の変化の寄与度は最も大きい50代で72%、最も小さい20代で-18%と産婦人科よりかは年代間のばらつきが少ない。

あと気になったので外科についても見てみた。

年代別外科医の推移
geka.jpg


外科の場合H18年からH20年は診療科の分類が関係してくるのでH20年については注意が必要だけど、明らかに減少してる。増えてるはずの50代でも増加が鈍く、20代30代の減少は目に余る。
各年代別にみても総医師に対する割合は右肩下がりで、20代に至っては
10.9%(H10年)→3.9%(H20年)
と半分以下の割合しか外科になってない。
人口千人当たりの外科医数は
0.20人(H10年度)→0.13人(H20年度)
となっており、寄与度では30代の医師が44.9%と最も大きくなってる。



データ取りはこの3科しか見てないけど、減少してるからそれが問題かといえばそうとも言えず、マッキンゼーの資料を見ると、外科は多かったのが減っただけかもしれないし、産婦人科や小児科でも、将来がどうなるかはわからないとはいえ出生数や年少人口と比べる限り現状で減ったとは言えないんじゃないだろうか。
うーむ、よくわからん。


○ 所属の偏在

これは病院と開業医のこと。
医師がたりないというけど、話題にあがるのは勤務医の話で開業医が足りないという話はない。3年前に行った学術会議のシンポでもこのことを言ってました。確かに勤務医が激務という話しをよく聞く。

でさっそく経年比較してみた。

総医師に対する病院勤務医師数の変化傾向
kinmui.jpg


うーむ、ほとんど変わってるようにみえない。
つまりいわゆる「立ち去り型サボタージュ」、病院から開業医に医師が逃げ出してるという現象は読み取れない。

てことで裏を読むべく分解してみる。
病院医師/総医師=(年代別医師/総医師)×(年代別病院医師/年代別医師)×(病院医師/年代別病院医師)
この知りらい事に対して分解の項の選び方が適切じゃないという突っ込みは勘弁してください。分解がしたかっただけでかつデータが簡単にとれるものってあんまないんです。

年代別医師/総医師(医師全体の年齢構成)
ishinendai.jpg


年代別病院医師/年代別医師(年代別の勤務医割合)
byouinnendai.jpg


病院医師/年代別病院医師(病院勤務医の年齢構成)
nendaibyouin.jpg


またまた実に考察しがいのあるおもしろい結果となった。
特に2番目。若手世代で病院の勤務医を敬遠する動きがあるかと思ってたけどそんな様子はない。それどころか60代の医師は以前より病院の勤務医である割合が高くなっている。
1番目や上の方であげた図を見ると医師全体の年齢構成が若手で減って50代の医師が増える傾向にある。
3番目の図を見ると、病院内でも若手の割合が減って50代の医師の割合が伸びてる。
この3つの関係と一番始めにあげた年代別医師数の推移とあわせて考えると、
・若手で勤務医を敬遠する変化はないものの医師数が減っているため勤務医数は減っている。
・50代医師は医師数が増えており勤務医割合も変化ないため病院勤務医も増えている。
・60代はなぜか勤務医である割合が高くなっており、医師数も増えているため病院勤務医も増えている。
・以上の点から3番の図のように病院勤務医は若手が相対的に少なくなりベテランが多くなっている。

病院内の高齢化が進むに従ってベテランになってもいつまでも現場仕事をしなくちゃいけなくなってるんじゃなかろうか。というか、本当は開業したくても病院の人手が足りなくて60代の勤務医の割合が高くなってるなんてことも考えられる。





とまぁいろいろとやってみたわけです。
所詮遊びなんでろくにイシューアナリシスもせず思いつくままいろいろとデータをいじくってみました。
なので勤務医の分析に当然必要な病院の方の分析はしてません。「医師・歯科医師・薬剤師調査」のデータしか使ってなかったので新たにデータとるのがめんどくさかったんです。
とりあえず言えるのは医師不足(?)にもいろんな要素があって、全部一緒くたにして「医師増やせ」では解決できないってこと。
ちなみに都道府県別に人口に対する医学部定員と人口に対する医師数をプロットしてみたんだけど、R2値は0.37でした。当然定員と医師数には時間のずれがあるから単純比較はできないけど、その土地の医師数に対して医学部定員数はそんなに強くは影響しないってこと。まぁその影響を少しでも強くしようとして地域枠なんかを作ってるんだろうけど。


ここでやった分析とは別に一般的な話として、この世界、どうしても医者の声は大きいし、感情が先走ることが多いので数字を出すって重要なことだと思います。もちろん現場感覚はすごく重要だけど、政策決定をするにはかならず数字が必要。正確にいうと、政治家を動かすのは数字がなくても大丈夫だけど、安定性のある政策を行うには数字が必要。
もちろんここでやったような大ざっぱなのじゃなくてもっと精緻化されたものが。
でも医療問題の社会的な関心とは対照的にこういうことを研究してる人って少ない気がする。需要はあるはずなのに。
まぁ俺も生業にする気はないから人のこと言えないけど。


さて、10:30までに一つ課題を仕上げねば。

資源配分の問

最近twitterをheavy useしてるので携帯の買い換えi-phoneにしようかどうしようかと悩み中。
これまでj-phoneから始まりvodafone、softbankとそのまんまできたわけです。アドレスは@s.vodafoneのまま。(sはshikokuのs)
i-phoneは魅力的だけど、アドレス変更すんのめんどくせぇ。
RA仲間がi-phoneもってるんだけど、メール打ちにくかったりで結局普通の携帯も持ち歩いてるなんて話を聞くとよけい迷う。
うむむむ。


さてここ2・3日暑いです。
これまで京都へ行くと言うと色々な方から「京都は暑い」と脅され続けてきたので8月にどういうことになってるか楽しみです。
まぁ真夏に鎧とヘルメット付けてガツガツぶつかり合うようなスポーツをやっていたんで大丈夫でしょう。

ただ最近Fとり気味なのが嫌。



さて、少し前のつぶやきのまとめ

5/24日のつぶやき

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日本の法律は性善説に立っているそうだ。少なくとも医師法や医療法ではそう。この「医師は善人」的な発想が医療をめぐる問題の複雑さを助長しているんじゃなかろうか。
医者はそりゃ一般に比べたら奉仕的な人の割合が多いかもしれないけど、別に医学部の入学資格にもそんなのないし、国家試験でも性格は問われない。もっと言えば大部分は社会に出たことがなく、責任の目安となる選挙権すら与えられてない18歳の段階でその進路を選んでる。そりゃあいろんな人がいるだろう。
「医者は善人」的な社会的認識があると逆に困るのは医師の側だろうとも思う。
必要以上の負担をかぶせられる。それでいて何か粗相があると「医者なのに」と言われるわけだ。ちょっと前に書いた病院の非営利性についてもこれが当てはまるのではないか。
医療機関に対して資金を提供することと労働力を提供することに差をつける必要はないと思ってる。
外部資金を導入することのデメリットとして「儲け主義」というのがあるが、現時点でも医者に利益を上げるようインセンティブをつけることや不採算の診療科を廃止することはある。多くの医療法人は経営者が株式と同じような持分をもっているため、病院資産を増やすインセンティブがある。
なぜ同じことを医者ができて他の人はできないのだろう。日本の投資家なんておとなしいもんだし、そもそも金の出所は半分以上高齢者なんだから自分の首を絞めるようなまねはしないだろう。高齢者が一番医療を使ってるんだから、高齢者にも病院に貢献してもらえば歪みは少なくなる。
自由競争にすると弊害が大きいということは経済学的に明らかになってるし、アメリカでも実証されてる。俺も自由競争にすればいいとは微塵も思ってない。ただ今の建前と現実が乖離しちゃってる状態てのはおかしいと思う。
日本的なすり合わせでなんとか金融の力を使った良い仕組みを作れないかなと思う。ただ、医師会は守られてる側だから今のまま性善である聖域にいるのがいいだろうし、政治だってそれを大胆に変えるほどの力はない。官僚でみても厚労省と地方自治体の所管を経産省とか金融庁が関わる様になるのは反対だろう。
この中で自分がどのように生きていくか。目標は研究者じゃなくて社会を変えることだから、その助けとなるような研究がしたい。今の環境はこういった課題に対しては最適の研究室だと思うけど、なかなか現実的な難しさがあるなぁ。海外PeerReview誌にacceptされなきゃ卒業できんし。
少し前にもこの悩み書いたわ。同じようなことがずっと頭ン中ぐるぐるしてるわけです。自分の納得の元での決断なら存分に力を発揮することができるんだけど、逆ならてんで集中できないんで今の内にしっかり悩んどきます。
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「医師は聖人ではない。」
「医者も人間。」
過酷な勤務実態を訴える時に言われることだけど、一方で政策的に競争を避ける為には医師の特別な地位を強調することがある。聖域と呼ばれる所以。
病院も非営利といえば聞こえはいいけど、現実的には理事長が全権を抑え、情報公開もされておらず、ガバナンスはきいてない。
つまり医療法人を私物化して自らの税金対策に使ってるようなのも大いにあるわけだ。病院が赤字だとはいうけれど、余剰利益は配当できないし、理事報酬も自分で決められるんだから、病院に利益を残さないのは経営者としては当然と思う。
もちろん厳しい病院はあると思うけど、それらを救う必要があるのかといえばまたこれも別問題。
ヨーロッパも医療問題は大きな政策課題となっているが、いずれも急性期病床を削減するという政策がとられている。日本もそういう方向に進みつつあるが、入院患者を立てに反発が強い。国際的にも断トツで病床数は多いのに。

これは日本の病院が民間病院主導であることに由来する。戦後の混乱期から国の社会保障制度としての医療を確立するためにこれはすごく良い制度だったと思う。なぜなら公的病院は計画から完成までに時間がかかるのに対し、民間病院経営者は市場に敏感に反応していたから。
ただ、病床規制を導入するのが遅れたために貴重な医師が分散してしまった。しかも多くが民間病院であるため簡単には減らせない。(この辺は歯科大学と同じか)

この病院のownershipが民間である限り、政策で強制的にどうこうしようという政策よりも、市場の影響力を使った方が早いし、環境の変化に柔軟に対応ができるというのが俺の考え。
地域医療が大切なのはわかるけど、医学生に地域医療が大切だと説いてもそんなものは不確実。地域医療に行くための明確なインセンティブが必要。

どのようなインセンティブがあるか。
twitterでHS2010さんに教えてもらったモデルが気に入ったので紹介すると、3つのreturnがある。
・financial return
・social return
・interectual return
具体的をあげるとfinancialについては単純に診療報酬や給料を上げることがある。socialはちょっと難しいけど、地域医療政策に関する権限を与えることなどはこれに近いかなと。interectualならば研究資金が得られるなど。生まれ故郷というのもこれに入るか。

ただ現在医療保険制度は国単位の制度であるため、法律的な問題で差別化するのは難しい。ならば地方自治体に権限移管するのが必要となる。
そもそも疫学的に地方自治体レベルでかなりの多様性があるのだからこれも正当性があるだろう。そしてなによりも英NHS改革という前例を参考にすることができる。これは政策権限とセットにできるだろう。
研究資金については基礎についても臨床についても地域に雇用を生むことができる。つまり乗数効果が期待できる。医療分野が世界に先駆ける産業となるためにR&D投資というのは必須事項である。



なんてことを考えるわけです。
一つ一つを研究するのは無理。
どのあたりにフォーカスをあてるかってのは難しいところだけど、まずは病院のownershipに関する問題提起をしようかなと考えている。
具体的には経営者のperk問題。ガバナンスと関連して掘り下げることができるか。同じように医師-患者、経営者-医師などのプリンシパルーエージェント問題をゲーム理論使ってモデル化でもしたいところ。最終的に病院のメカニズムデザインまで仕上げられれば最高だけど、正直メカニズムデザインの限界はまだ勉強不足なのでわからない。
あまり研究課題は書かない方がいいかもしれないけど、正直この分野の研究者ってほとんどいないので大丈夫でしょってことで。まだ決定してないし。

時間がないよなぁ。
ここでも人の2倍3倍勉強すれば済む話なんだけど、その資源は勉強以外の事、社会に対するoutputを出すことに使おうと思ってるので悩ましいところ。
うーむ。


今日の授業課題仕上げなきゃならないんでここまでにします。


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※ なお、ここに書かれている事はすべて私個人の見解であり、所属する組織・その他関係機関とは関係ありません。

京都イノベーション

deruta.jpg

~春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる~

写真は平安時代のthe祭である「葵祭」がある5月15日に撮ったものです。場所は高野川と賀茂川が合流して鴨川になる部分にある鴨川デルタで、正面に見えるのが下鴨神社の鎮守の森である「糺(ただす)の森」です。

この日は本当に清々しくていい日でした。
雲が少しくらいあった方が枕草子に近いのかもしれないけど、快晴はそれでいいもんです。逆に雨が降った後の早朝なんかは一面景色が紫でそれはそれでかなりいいです。

最近生活リズムが早いほうに6時間くらいずれてるおかげで存分に早朝を楽しめてます。4:30から6:00くらいが一番いいです。
清々しいし景色もきれいだし人も少ないです。今出川(御所の南端)から烏丸通(京都のメインストリート)を南に望むと京都駅まで車一台通ってない様子を見ることができます。なかなか爽快です。
これも日の出が早く、朝は暑くないこの季節ならではの京都の楽しみ方なのかな、と。



さて、葵祭とは。
簡潔にいうと上賀茂神社、下鴨神社の祭です。
上賀茂神社、下鴨神社はそれぞれ正式名称を賀茂別雷神社、賀茂御祖神社といって賀茂氏の氏神であり、古来より京都、さらには日本の国家祭祀と密接にかかわってきた神社です。
詳細に語ると日記一つで済むどころではないのでまたの機会に。

葵祭は本来、宮中で天皇が勅使に御祭文と御幣物を授ける儀式の「宮中の儀」、天皇の代理である勅使が大勢の供を従えて両神社へ行列してゆく「路頭の儀」、両神社で勅使が御祭文の奉上や御幣物 (お供え物) の奉納を行う「社頭の儀」の三部構成です。この中で路頭の儀が有名でニュースになったりしてます。
現在は宮中の儀は行われておらず、さらに現在で勅使の役にあたる「掌典職」(天皇から直接雇用されてる)も社頭の儀にしか参加していないそうです。勅使のいない路頭の儀の主役は斎王代ですが、これも賀茂神社におかれていた斎王(斎院)にならって戦後創設されたもので、賀茂神社の祭と直接関係はないです。
つまり路頭の儀に参列してるのは勅使の代わりの勅使代と斎王の真似である斎王代。

つまり儀式として見た時に現在の行列はよくわからん行列ってことです。

saiou.jpg

ただ、まぁ神社も祭もその土地や時代の人々によって変化するってことで、まぁいいのかもしれません。
上記の写真が斎王代。着ている十二単は30kgあるそうです。
斎王代は代々神社に奉仕する社家でもなければ皇族でもない一般の方から選ばれるそうです。(去年の斎王代は皇族関係だったらしい)今年は京都府立医科大の2年生。
ただ、京都の人が満足させるだけの格があるような出自の人が選ばれてるようです。


この辺わりとおもしろいところ。
歴史的に京都で政治を行う際には京都の民衆を無視できずに京都人の感情に配慮してたそうです。秀吉の北野大茶会が例。
じゃあ京都人の感情は何で動くかといえば歴史や位などの「格」。今宮神社の祭礼でお世話になった牡丹鉾町の方も今宮神社と比較した八坂神社や斎王代に対して格という言葉を使ってました。
ただそれだけじゃなく、新しいもの好きという側面もあり、割と臨機応変になるようです。昨年の町づくりコンペでみた七条の明治建築などが印象的です。また古い漬物屋や御菓子屋も受け継がれてきたものを承継しつつ新製品を開発したりしてるわけです。
このあたりは外から見れば捻くれてるのかな、と。
ただ、これが京都が現在でも古都としていき続けてる秘訣なのかなと思うわけです。

もし、歴史的な格だけを重んじるならば、その文化は時代に取り残されて消え去ってしまうわけです。もし新しい物好きなだけだったら、文化は蓄積されず面白くともなんともないわけです。
歴史に固執するのでもなく、新しいものを作り続けるのでもなく、歴史の中に新しいものを取り込んでいく様は、まさに日本のものづくりの根幹であり、もっといえば日本文化そのものだと思います。

このあたりを考えると斎王代については単なる町おこしのイベントではなく、葵祭の格と天皇が神から人になった戦後という時代の変化のバランスの上で古来よりの神社祭礼と近代社会の中間に登場したもので、どちらかに固執するのではない京都文化ならではのものなのかな、と。


歴史だけではなく京都文化は掘り下げればかなり面白そう。


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※ なお、ここに書かれている事はすべて私個人の見解であり、所属する組織・その他関係機関とは関係ありません。

folk customs

さっき気がついたら部屋の照明カバーにヤモリが張り付いてました。
久しぶりに見た。
家守なんでそのままにしとくのも有りだけど、一部屋しかないもんだから居心地悪いし、いらんとこに入られても困るんで外にお帰りになってもらおうと思ってます。





5/6日のつぶやき
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日本の若者がかかえるリスクを含めた将来コストというのは"かなり"高い気がする。
今更感もあるが、本当に社会に従ってるだけではかなり危なく、損な人生になる気がする。当然ながら累積債務による信用低下で国債の国内消化が見込めなくなってくると金利は上がって国民負担は上がる。そういう事態になれば国による資本の食い潰しの影響で国内の資本蓄積は萎み、海外の資本への依存が進む。
国際的な競争を考えた面で20年後も競争力を保ってる企業って何社あるんだろうか。
ということを考えた時に人金モノで考えると、教育ではゆとり教育という大きな傷や留学生数の減少など見て国際的な競争力があるとは思えない。
金でいえば研究開発費は仕分けに代表されるように国のサポートも弱まる圧力にあるし、全体で見ても2006年時点で中国に負けてる。ベンチャー投資もとても競争できるレベルにない。
モノといえば言うまでもなく資源のない国なのだからあるはずもない。当然無形資産でみれば宝の山だが少子高齢化はその承継に大きな影をおとす。特許化やTRには期待だけど少し遅かった気がしないでもない。
で、国を導くべき政治はというと現在はあの体たらくだし、そもそもの強制力の源である国民の支持というものがもうずっと得られないでいるジリ貧の状態にある。そして高齢者が数の上でも資産の上でもマジョリティを占める今では制度を固定化する力の向きが非常に大きい。
日本はもう20年近く3%以下の成長率しか達成できていないが、あまり成長率が高くなっても資金需要が国債と競合するため成長できないんじゃないかという気がしてる。そして財政規律を否定するような政党が当選するような状況。今年初めに国債の格付けが下方修正されたことをどれだけの人が知っているだろう。
こういった環境の下にあることを考えた時には自分個人としてどう生きるかということを真剣に考えなくちゃいけないなぁという気になる。特に医者や歯医者もいつまでも国の保護下で安穏としてるといつ梯子を外されるかわかったもんじゃない。
なんてことを明日10時までにレポートを仕上げなければならない状況の中で考えました。また改めて日記にします。
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レポートは遅刻しました。

さて、これは当然すごーくおおざっぱなんだけど、一応事実なわけです。


これを少し考えるようになったのも先週少し話題になったテレ東での勝間×ひろゆきの対談の動画を見たのがきっかけ。
youtubeは削除されてるんで見たければ適当に検索して見て下さい。
テキスト版はこちら:http://d.hatena.ne.jp/wt5/20100503

この対談自体は議論が全然噛み合ってないし、特別価値のある対談をしてるわけじゃないです。
勝間和代の本は読んだことないし、テレビで話してるのもほとんど見たこと無かったんだけど、あまりの駄目っぷりに少々びっくりしました。
相手の言うことの本質などは理解せず「でも」「だけど」と反論を繰り返す様は自信過剰の表れですわ。
一言「なるほど」と頭に言えば生産的に議論できるのに。
そもそもJPモルガンのマーケット部門でインターンした時に中の人が「ああいう人が有名になることはあまり喜ばしいことではない」という事を言っていたのでまぁ仕事でもそういう人だったんでしょう。


ということはおいといて、日本の若手起業家養成について。
勝間女史は若者が豊かになるためにももっと起業家を増やすべきという主張で、ひろゆき氏は年取ったの方が経験も金も持ってるんだから年取った人が起業すればいいし、若者はしたければすればいいって主張。

そりゃ若者が起業した方が社会に活気が出るし、現在の日本のような金も票も高齢者がもってる、なんてことは避けられるわけです。
だけど、結論から言えばそれを日本に望むのは無理だろうという意見。

アメリカ社会は世界で見ても短所はありつつも、あらゆるものが集まって活気を生んでる成功した社会だけど、それをそのまま日本に持ってくることは出来ない。
日本の場合はまず国民性が違い、教育が違い、商習慣も違って、ベンチャー周りのビジネス環境も違うわけです。
先日書いたスタンフォードのアントレプレナーシップ講座は確かに魅力的だけど、日本の学生に同じ授業をしても同じような成果は絶対に得られない。


国試勉強中に深夜のサイゼで隣の机にいた人はどうやら現在いる会社をやめて起業を考えていたようで向かいに座っていた女の人に相談してた。というかたしなめてた。
その人は起業に非常に熱い思いをもっていてその女の人にとうとうと語っていた。で女の人が一言
「で、具体的に何やるの?」
その人、しばし口をつぐみボソッと営業ならできる、と。
クレリックのカフスシャツにノータイといういかにもな服装をしていたけど、何のアイデアも技術もなく頭の中はからっぽだったようで。
後日同じ人を同じ場所で見たんだけど今度は1人で、中小企業診断士とか起業とか書いた本を10冊ばかり積み上げ、ワインを読みながら10分ほど眺めては次の本を取りを繰り返してた。

俺の印象では日本の若手起業家ってこの人のようなイメージが強いです。
国試勉強は1ヶ月半だったけど、その間にもう一例似たようなの見ました。
熱意はあるけど中身はない、だから判子を押したように営業だとか、大学の学生相手の就職支援だとか企業支援だとかの起業が多いっていう印象がある。でそういう人が起業を考えてる人にレクチャーしたりするもんだから次の世代も頭空っぽ。

シリコンバレーやルート128はどうかというとITであったりバイオサイエンスであったりといった技術を種にする起業が主流であって、それを参考にするなら頭空っぽの人よりも技術を持った人に焦点をあて、余りに余ってるポスドクとかポスドク上がりあたりに対して町工場的起業を進めた方がよっぽどいいんじゃないかと思うわけです。

日本からgoogleやamazonを生み出そうとしても無理でしょうということ。得手不得手があるんだから。
それよりも小さな職人集団とそれらをすり合わせるトヨタのような企業体こそ日本の教育や商習慣、歴史を考えると合ってる気がする。



話は飛ぶけど政治についてもそう。
二大政党制は確かに魅力的っぽく見えるけど、果たしてそれが日本に合うのかというと別問題。合ってなかったから外国のメディアにzero-party stateなどと書かれちゃうわけです。
長らく自民党が絶対与党ではあったけど、その中には派閥という独特なシステムがあった。その中で派閥同士が政治的争いをし、派閥による疑似政権交代により実際にタカ派ハト派、大きな政府、小さな政府という政策のバランスをとっていた時代があった。その後80年代後半の「総主流派」宣言以降は派閥間の政策に差異がなくなり、その後5年で自民党が分裂して55年体制が終わった、と政治過程論の教科書には書いてあった。
で重要なのがその総主流派宣言時代の自民党で竹下派七奉行の1人として実権を握ってたのが現民主党幹事長の小沢一郎議員。

政権交代後の政策決定過程の構築を見て二大政党制を目指しているとはだれも思わないだろう。
二大政党制の弊害はその政権交代にある。
国民が冷静に政策の質や実現可能性を判断できなければ政党はバラマキをはじめとした利益誘導を行う。その代表がギリシャだったりする。
国民が判断を行うためのマスコミも議論を促すどころか一方向に向かう傾向がある。このような状況ならば、選挙運動のネット規制ではなく、マスコミでの選挙報道を規制してネットのみにした方が大分冷静な選挙ができるんじゃないだろうか。当然実現可能性はないけど。

経済を見る目と動揺に政治を見る目もすごーく重要だと思う。
自民党でも70年代まで80年代後半まで2000年まで、それ以降と全然違った性質をもつわけです。どの部分が悪くてどの部分がいいのか、といったことを見ないと予想だにしなかった結果になる。

と、過去の日記を含めてさんざん民主党のネガティブキャンペーンをしているわけですが、民主党全てが悪いとは全く思ってません。桜井先生にはお世話になったし、非常に勉強熱心で誠実な政治家だと思うし、他にも有能でまじめな民主党の政治家を何人か知ってる。
ただし、上がだめ。
昔の自民党そのままだし、自浄能力がない。政策形成過程が体系だってなく、ガバナンスがきいてない。
7sで言うと実質的なShared valueがないんだろうと推測してる。何しろ政権交代しちゃったし。
小沢議員も体調良さそうではないしいつかは引退するはずなので早くloopyではないまじめな方々に実権を握って頂きたいものです。






この日記書いてる間にイモリさんいはおかえり頂きました。

そういえば前回の日記に書こうと思ってタイトルに素馨(ソケイ)ってつけたのに書いてなかった。

毎年5月頭、気温もあがって夏の空気がただようようになると湯島聖堂付近からいい匂いがただよってきてて、それがすごい好きでした。俺にとってその匂いは季節の変化と同義だったんでその匂いがすると日記に書いてたりしたんですが、その匂いの元がわからず鼻だけで楽しんでました。


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※ なお、ここに書かれている事はすべて私個人の見解であり、所属する組織・その他関係機関とは関係ありません。

それがこの間付近の路地を歩いてたらそれっぽいにおいが!!

それがこの花。

hana.jpg

jasmin.jpg


後で調べたところ上記、素馨、別名羽衣ジャスミンでした。
この匂い、たまらなく好きです。


将来、家の庭に植えるリストが増えました。
現在のところ、柿の木とローリエの木とこの素馨也。


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※ なお、ここに書かれている事はすべて私個人の見解であり、所属する組織・その他関係機関とは関係ありません。
プロフィール

udnkui

Author:udnkui
香川県出身。
京大大学院の博士院生。医科歯科卒。jazz好き。神社巡り好き。独学での法律、政治、経済、経営等社会科学の基礎知識と国会議員、外資投資銀行(米・英・欧)、学際系研究室などでのインターン経験があります。
興味事項:社会、科学、自然、芸術
日々精進してます。

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