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budroot25

25歳の総括。

21歳総括:http://udnkui.blog50.fc2.com/blog-entry-26.html
22歳総括:http://udnkui.blog50.fc2.com/blog-entry-92.html
23歳総括:http://udnkui.blog50.fc2.com/blog-entry-297.html
24歳総括:http://udnkui.blog50.fc2.com/blog-entry-778.html



25歳の中で最も大きな位置をしめていたのは病院実習だった。
大学内のスケジュールが一番だったのはこれまでの大学生活でははじめてかもしれない。

3ヶ月毎のメンテナンスの患者さんを含めれば全部で22名の患者さんを担当した。
当然全員の顔を覚えているし、口の中も覚えている。
みなさんいい方ばかりで本当に勉強になった。

ただかなりのストレスがあったことは事実。
指導医同士の治療方針の違いで学生が板挟みに遭う、みたいな何年も前からあるのに加えて、自分の場合は一般的なキャリアを歩まないことが知られていたので「診療をいい加減に思ってるんだろ」的な偏見で無駄に絞られたりもした。実際は学校内でも平均より上でいようと心がけてたし、歯学部のカリキュラムの一部であり学生生活の総括である病院実習をおろそかにする考えはなかった。
あとでそのことでその指導医と話して「勘違いしてた」と聞いた時にはどうしようもなく怒りがこみ上げたが、閉鎖的な環境下の指導医と学生という立場上どうしようもなかった。
てか本人の話も聞かずに他人からの話で勝手に偏見持ってそれを態度にしめすって教育者としてどうのなのよ。

愚痴というより恨み節ですわ。
まぁもう終わったことだけど。




話はもどって5月には京大の研究室訪問。
大学院説明会+研究室訪問の前日に京大病院の研修医説明会があったので両方参加した。そこで研修医の生活に自分にとっての意義と魅力を見出せなかったことと、研究室の教授に自分がしてきたことと興味を持っていることを語って「普通はまずは臨床経験積みなさいっていうけど、あなたはそのまま進んだ方がいいかもしれませんね」という言葉を頂いたことが決定打となり大学院に進むことを決意した。


4週間の夏休みにはjazz研とアメフトの合宿が終わって9月。
突然の父の死。
58歳。急性大動脈乖離。
はじめに聞いた時は血の気が引いたが、後のことに関しては冷静でいられたように思う。
自分の中でこれまでに想像していたほどの動揺や混乱はなかった。医学、医療を学んできたからなのか、実家を離れて一人暮らしをしていたからなのか、自分の中の父の影響力が小さくなっていたからなのか、なぜなのかはわからない。
今後は母を香川に残しているので孝行したい。



この後、お茶祭やアメフトのシーズン、病院実習のラストスパートなどと平行して院試の勉強をして無事合格。定員141人に対して出願が200人弱なので元々倍率が高いわけじゃないが素直にうれしかった。

そして病院実習が終わった後は怒濤の国試勉強。
私立大の人は4月から、国立でも夏か遅くてもでも秋には始めてるのに12月中旬になってしまった。
国試をなめてたのと、モチベーションが上がらなかったことと、余裕がなかったことが重なってのことだったんだが、どうなることやら。



国試が終わってからは溜まっていたストレスを解放すべく自分の興味をもっている分野の勉強と人と会うのと神社巡りとその他美術館行ったりDVD見たり三昧。
楽しい。京都が楽しみ。引っ越ししなきゃ。お金がない。
の日々。




自分はこの一年でどう変わったか。
今年は何をするか。


一番の大きなのは目の前の勉強に対する位置づけ。
これまでの勉強はゼロベースの一学生という立場で社会の様々なことを勉強し、色々なキャリアを模索してきた。しかしここで博士課程というキャリアが決定し、自分の専門ができることになった。これはもはやモラトリアムではない。
専門ができたからには専門家にならなければならない。また、博士課程にすすむからには自分で新たな価値を生み出せるようにならなければならない。
そしてキャリアももはやゼロベースで何でもというわけにはいかない。このまま中退せずに卒業するとすれば学歴的にも年齢的にも進むことができるキャリアは限られてしまう。
つまり自らのキャリアに合った勉強、自らの進路に合った勉強というものを意識しなければいけない。もうoutput無しにはいられない。
「医療を産業として発展させたい」という大きな目標は変わらないのでこれまでの勉強、経験をこの目標に対する具体的なoutputに落とし込んでいきたい。
あとmixiは知識の整理と思考の記録に良いのでもっと日記を書ければと思う。





今年度、つまり25歳で7年間の東京での生活に区切りをつけ、京都という新しい環境で時間を過ごすことになる。
ふらふらといろいろな場所や分野で大学生活を送っていた自分が、1つの場所で自分の興味に突っ走ることになる。とにかく楽しみだ。
この26歳も実りある一年にして着実に自分の中に積み上げていきたいと思う。
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whitecap24歳

24歳の総括。

21歳総括:http://udnkui.blog50.fc2.com/blog-entry-26.html
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23歳総括:http://udnkui.blog50.fc2.com/blog-entry-297.html

振り返ってみると23歳までとは性質が随分違う一年だったように思う。

どういうことかというと、これまでは自分が興味をもっていること、やりたいことを時間という資源を自由につかって追求してきたが、この一年はスケジュールが立ち、それに従って行動することが多くなった。
つまり、行動が個人的なものだったのが社会の中の他者と行動を共にするようになったということ。



唯一時間があったのは4月。わりと神社巡りとその考察を中心に自由にしていた。
しかし5月になってからはアメフトに復帰するのと、夏のインターンに対する活動開始が重なり、一気に忙しくなった。

6月から7月頭にかけて1回目のピークを迎え、テストラッシュ、アメフト、jazzライブ、インターン選考会などで一ヶ月半で学校以外の予定がない日が2日しかない状態になった。この忙しい中でも日枝神社の例大祭で日本橋一丁目の御輿(日本一御輿)を担げたのは良い思い出。
7月の束の間の休息を挟んだ後は怒濤の夏休み。
大学生活の最後の座学テストを終えた次の日からインターンが始まり、8月だけで4社のインターン、アメフトの合宿、jazz研の合宿をこなしつつ合間を見て勉強し、8月末に学科試験CBT(全歯学部共用の試験)をうけ、1週間後に控えるもう一つの実技試験OSCEの合間にもう1社のインターンをした。

それが終わってアメフトの試合を終えてから香川に帰省したが、帰省中に祖父が急逝し、心臓マッサージから火葬までみとることになった。祖父は250年の歴史ある食料品問屋の9代目であり、生命力にあふれる人だったが近年は脳梗塞・前立腺癌と闘い、いずれも病気を克服したものの弱気になっており、自らの死期を悟っていたのかもしれない。家族としてはもちろんだが、医療を学ぶものとしても考えるものが多い帰省だった。

東京に帰ってからは3回目の忙しさのピークを迎えた。
まず大学では病院実習phaseⅠ(病院内各科実習)開始、お茶祭のjazz研があり、アメフトのシーズンがはじまり、就活の本番も始まった。アメフトはチーム内の怪我人続出により2試合で棄権、就活ではエントリーシートの締切りを過ぎるという大失敗をし、予想していたほどは忙しくならなかったが、大学の病院実習についても就活についても先が見えないこともあり、精神的な余裕はなかったように思う。

年があけてからは病院実習のphaseⅡ(実際の診療を含む実習)開始という大きな変化があった。
実際に生身の患者さんを目の前にして侵襲のある治療をする緊張感というのはやはりとても大きい。一部のライター(指導医)の理不尽な怒りに耐えつつ日々勉強と診療を続けるのはとても消耗することだ。
3月になり、ようやく慣れてきた部分はあるが、始めの1ヶ月は家に帰ってはすぐに寝てしまい、起きては学校に行くという生活をしていた。

3月の誕生日前日に兄貴の結婚式といううれしいイベントに参加し、そして誕生日を迎えた。




自分はこの一年でどう変わったか。

これまでにも増して社会の中で自分がどう生きるのかということを考えた。自由時間には新たな事を勉強するというよりも、知っている事に対する新たな情報を考察したり、これまでの自分の考えを整理したりする時間が増えた。
その結果自分が何をしたくて、それを成し遂げるためには何が必要で、社会でどう生きればよいのかという部分に対する考えがある程度固まった。
また、就活というものを通じ同年代の人間の中で自分がどういった人間であるのかということもある程度つかめた。行動力やリーダーシップに関しては強みだが、人とのネットワーク作りに弱みがある。1人でいたからこそでここまできた部分はあるが、やはり社会においては人との繋がりは欠かせない。
総合的に自分をみると、最優秀ではないが、力強く前進する力をもつ人間であり、社会においてもその価値を発揮できるとの自信をもてるようになった。




今年は何をするか。

おそらく人生で大きな転換点である就職先を決める事になるだろう。
これは自分が努力しようと運と相性も大きな要素を締めるので人事を尽くしたら天命を待つしかない。
あと臨床実習。
やるべきことをやらないと何をするにしても後ろめたさが出て中途半端になってしまうだろう。周囲からの信頼も勝ち取ることができない。ライセンスをとることはもちろん、歯科医としてのプライドをもてるように努力したい。



25歳は学校教育の節目となるはずであり、人生の転換点を迎える準備をしなければいけない。
この一年もこれまでにも増して多くのものを自分の時間の中に積み重ねられるようにがんばりたい。

23gsm

遅くなったけど23歳の総括でも。思うままに振り返ろうと思う。

21歳総括http://mixi.jp/view_diary.pl?id=96783264&owner_id=271459
22歳総括http://mixi.jp/view_diary.pl?id=365460281&owner_id=271459

簡単に言うと今年はPBIとともに歩んだ一年だった。
興味の内容は昨年の流れを引き継いで金融に関するもので、金融と経営について学問ベースでも実態ベースでも多くのことを学んだ。
そして神社巡りという新たな趣味が出来た一年でもあった。


PBI教室とは東京大学大学院薬学系研究科ファーマコビジネスイノベーション教室のこと。
教授は木村廣道先生。薬学のドクターをとって製薬企業に就職した後、スタンフォード大学のMBAを取り、米系投資銀行で企業買収に携わったり、製薬企業のCEOを歴任してきている実務家。現在も自分のベンチャーキャピタルとコンサル会社を経営している。シビアな実務の世界で生きてきただけあって何事にも鋭く容赦がないが、普段は優しい先生。医療関連のビジネスの世界では第一人者だ。
特にお世話になった先生は現在は齢35ながら京大の准教授になった仙石慎太郎先生。化学のドクターをとって戦略コンサルの世界的なトップ企業であるマッキンゼー・アンド・カンパニーに就職して4年間働いた後にPBI教室に入り、今年の1月から京大に移った。俺の神社めぐりの師匠でもあり、研究に関することやその他のいろいろな物の見方・考え方などを教えていただいたり、飯をおごってもらったり神輿担ぎに誘っていただいたりと大変お世話になった。
その他6月から着任した星先生をはじめ、社会人大学院生の方々も皆超優秀でかつ実績をもった方ばっかりで学ぶには非常に良い教室だった。

PBI教室と初めて接触したのは4月、6月から始まる研究体験実習の受け入れをお願いすべく、木村先生にメールを出してから。その後毎週行われる勉強会に参加し、6月からは毎日教室に通うことになる。直接ついてkださったのが仙石先生だった。
その後楽しいもんで盆の一週間以外の夏休みも返上で通った。

10月からは隔週でPBI教室主催の公開講座が始まった。
今年のテーマは昨年までと違って薬学・医薬品業界にフォーカスをしぼったものだったので直接自分の興味に関係あるものは少なかったが非常に面白いものも多かった。
ただ、自分にとって何よりも良かったのは講演終了後の懇親会。
大企業のCEOクラスから起業家、官僚など実に様々な人が来ていて、とにかくいろいろな人と話しまくった。一年間で貰った名刺は約150枚。このいろいろなバックグラウンドをもった150人と話して得た知識や考え方は自分にとって大きな財産になった。


一方大学では講義中心の生活から実習中心のカリキュラムになった。
別に特記することはないな。

jazz研はこの3月の卒業ライブをもって部長は引き継ぐけど、この2年間で学外の部員が大幅に増え、学内・学外で行うライブも増え、OPENで活発な部活にすることができた。当然自分だけの手柄ではなく、舞い込んで来る仕事をこなしてきただけだったけど、大きな失敗もなくうまく運営できて良かった。



自分はどう変わったか。

去年までは自分が興味持ったことをひたすら勉強していた。が、今年はこの先自分がどういった進路を歩めば良いのかを強く意識した年だった。

当初強く意識していたのは医療と市場系世界の境界領域。その意識から様々な治験を得るにしたがって「医療を産業として成長させたい」という目標に変わっていった。その手段としては興味を引き継いで金融的なアプローチを考えている。詳しくはまた別日記で書くと思う。

それを達成するためにどういったキャリアを積むのか。
pbi教室の木村先生や仙石先生、そして懇親会で出会った方々には戦略コンサルか投資銀行でスタートすることを強く勧められた。また、同時に色々な方から歯科医師と働いてから転進した方が良いという助言も受けた。
自分は投資銀行やコンサルに強く惹かれるものがある。人より遅れたスタートを挽回できるし、その後のキャリアを考えるとこの上ない進路だろう。だが、自分にそれが可能かどうかはわからない。興味を引き続き勉強に向けるべく大学院に行くという選択肢もある。また歯科医師としてキャリアを積みながら同時にこの分野で活動するという選択肢もある。

いろいろと悩んだが、自分の中である程度キャリアについての優先順位は決まったつもりだ。
これが一番大きな変化だろう。


また、これまでは外で勉強する機会もあったものの、自分だけの勉強であり、OUTPUTを出すことに焦りを感じていたが、今年はPBI教室を通じて他人の評価を得ることができ、その焦りは無くなった。
当初は木村先生からいろいろなことを教えられる立場だったが、今年度の最後の方には懇親会でいろいろな地位や権威のある方々にも紹介してもらえるようになった。さらに教室員として認められている学生は3人。一人は東大薬出身で現在東大ローに行ってて、一人は東大院薬でメリルリンチの投資銀行部門に内定してる奴で、もう一人が自分。
これらの評価は自分にとって何事にも変えがたい自信につながっている。


今年は何をするか。

自分の具体的な目標がある程度決まった今はそれに叶えることができるように準備しなければならない。また、同時にあらゆるものに興味をもち吸収することも心がけたいと思う。社会には常に興味を持ち、自分のホームグラウンドである歯科においては人並み以上の成績は維持し、その上で自分の目標を達成できるようにしたい。


自分をどのようにすれば社会に役立てられるのかの悩みを名大医学部教授の立川先生にぶつけた時の返事
「活用されようと思うと、意外に舞台はなく、しかしながら、備えていれば、思いがけなく幕が上がるものです。
不安は当然将来がはっきり見えなければ抱くでしょう。
私にもいつも不安はある。
ただし、それはコントロールするしかない存在ととらえています。」
この言葉には自分の不安をかき消してくれ、目の前の勉強に向かわせてくれる効果があった。このまま常に備えたいと思う。

この一年も時間を自分の中に積み重ねられまずように。

終わり。

終わったんと総括

試験終了!
最後は生体材料、免疫、口腔病理の3教科でどれも学ぶべきことがたくさんあったんで大変だった。

ってか4年生のみなさんならご存知の彼が最後の最後でやってしまいましたよ。なんてこったい。

んで、今回基本的な教科書さえないうちの大学の図書館に耐えかねて東大の医学図書館と総合図書館を使ってみた。
医学図書館はそんなにでかくはないけど、やたら英語の本が多かったなぁ。4分の1くらいは英語だったんじゃなかろうかってくらい。
んで総合図書館すげー!
内装とか勉強机とかゴシック調でなんかさすが東大って感じでした。置いてる本も古いものから新しいものまで置いてて、特に歯科でも見たことなくてすごく興味をそそられる本が何冊かありました。また読みに行こうかと思います。


さて、22歳総括。
去年のはhttp://mixi.jp/view_diary.pl?id=96783264&owner_id=271459

春は去年の誕生日までの流れを引き継ぎもっぱら政府とか政策に興味を抱き、頭の中はそのことばかりだった。
そして3月末から4月初めにかけて医科歯科出身の参議院議員の桜井議員のところで勉強させてもらった。単なる事務所の手伝いではなく、実際の会議の中にまで入らせてもらったり、具体的なテーマについて見させてもらったり、非常に良い経験ができた。

その後3年生の授業開始。

6月には自民党の中央政治大学院という名の5回のセミナーに参加したりもした。与党幹部という人が自分で話すというものを聞けて、内容的に後悔は残ったけど質問もできたというのはいい経験になった。

そして夏休み。
ここで慶応商学部助教授の権丈善一氏の「再分配政策の政治経済学」という本に出会うことができた。この本では医療が決して孤立したものではなく、世の中の経済の影響を受け、金利や資源などとともに市場とも深い関係があることを教えてくれた点で自分にとってすごく衝撃的だった。
ここで現在の医療は政策という力学を中心としたものと市場という力学を中心としたものとの相互干渉により形作られているんだ、という認識が生まれた。

これは歯科医療という一つの社会に影響を与えるという目標のために政策系(厚労省)に入るというアプローチ方法を揺るがすことにつながった。
2つの大きな力学が働いて社会を形作っている。それぞれ役割や力の働き方は違うけどどちらも現実に影響力を持っている。
どの方法をとるのが一番自分と社会にとって良いのか。

それを探るべく、もっともっと勉強を重ねなければいけないことに気付いたのが秋。このころ学校では解剖実習が始まった。
これも影響してか、ここから冬まではあまり自分の勉強を進めることができなかった。

社会を構成するのが何か、そもそも社会とは何かを考えるうちに多様性という言葉がだんだんと自分の中に積み上がっていった。

多様性というキーワードから思考を続けることで新たな哲学を得ることが出来たと思う。(前に書いたのはこれに対する一つのアプローチです)

今はとにかく自分の知らないことを知らなければならない。
とにかく足りない。自分を成長させなければならない。
その上で何が自分にとって一番よいのかをよく考えていきたいと思う。

さて、来年何を考えているのやら。

一年間の総括

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=10192231&owner_id=271459
↑去年の誕生日の次の日に書いた日記。

まぁ去年の誕生日には今年がこうなることは全く予想してなかったんだけど、去年の誕生日に思ってたことを実行できたと思う。


今年は本当に激動の一年だった。
留年決定の時はとにかく理不尽なことに苦しんだ。
でもとにかく現実は現実であるし、やりたいことがあったので丸一年を与えられたことを歓迎する気持ちも少しあったので何とか4月までに気持ちを切り替えることができたのがまず一歩。
高校の定期演奏会の手伝いの中で大きな力をもらったことも大きかったと思う。

春はバイト漬け。麺通団と部活に体を使い、歯科についてもいろいろ情報収集してた。その中で医学系学生団体に参加したりもした。

夏からは思考の始まり。8月の学生団体のイベントに参加して他学部からの歯科の興味の薄さに失望しつつも、今出来ることと今後の目標の具体的方法について考えた。
そこで今ある問題のうち、解決のために出来ることは情報提供することにより患者の選択力を拡大することだと結論付け、その考えを進めてNPO法人計画に至った。まぁこの計画は現在でもまだいろいろな困難を抱えてるんだけど絶対に実現させたい。

秋は部活、NPO計画、勉強といろいろと重なって大変だった。
その中で将来の歯科を変えるための思考を深め、歯学部教授と話をして国?という選択肢ができた。
そして法律や政治学等を勉強をすすめるうちに、より歯科に対して巨視的に見ることができるようになった。

そして年末はNYへ行き一生で二度とないほどの経験をし、一月からは勉強に集中し、思考はだんだん収束へ向かい、今にいたる。
その収束してきた思考を書いてるのが「歯科医療を変えるために」って題の日記です。あとちょっと書く予定。


行動において常に先は見てない。今現在を少しでも理想に向かわせる努力してきたと思う。奇遇にも政策過程論でも同じ考え方があり、インクレメンタリズム(漸増主義)というらしい。

今年の初めには、この一年を留年で失った一年とするのではなく、留年しない場合よりも多くのものを吸収し、この一年が将来に大きく働くような一年にしようと思ってた。
その通りの一年になったと思う。
一年前と比べて外見は何も変わってないけど、自分自身は比べ物にならないくらい成長したと思う。
俺にとって高二の一年間とこの一年間は絶対に欠かすことのできないものになりそう。


あと、俺の中でこの「成功」にmixiというのは欠かせない。
どんどん流れる時間の中で、その日々に起こったことや考えたことを記すことで現在の自分の位置を把握することができた。
遠くにいる友達にも励まされた。
mixiに誘ってくださったよーすけ先輩、ありがとうございます。コメントくれた皆さんもありがとうございます。


とりあえずあまりに特殊な一年だったから総括してみたけど、少なくとも休憩所なんてものはないので、このまま得たものを力にしつつ、精一杯がんばりつづけていこうかと思う。

この先どうなるんだろう?
わかんないけど、とにかく今をより良くしていこうと思う。



どうも最近これ系の日記が多くてやだなぁ。ま、いいか。
プロフィール

udnkui

Author:udnkui
香川県出身。
京大大学院の博士院生。医科歯科卒。jazz好き。神社巡り好き。独学での法律、政治、経済、経営等社会科学の基礎知識と国会議員、外資投資銀行(米・英・欧)、学際系研究室などでのインターン経験があります。
興味事項:社会、科学、自然、芸術
日々精進してます。

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