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赤いコンガ



とうとう念願のmyコンガを手にいれてしまった。
うれしすぎる。
お茶祭で存分に活躍してもらおう。


昨日はほぼ日中は4年生の研究発表見てました。
基礎系の発表はほとんどわからなかったけど、やっぱそこはわからない人にも大枠の要点をわからせるプレゼンがいいプレゼンなんだろな。そこんとこsaraのはさすがと思ったよ。

来年どうしようかなぁ。
おそらく医療経済学の教室が順当なんだろうけど、やっぱ基礎研究なんかも経験したいな、とも思う。成長分野の予防系なんかも興味あるしなぁ。
まぁ時間かけて考えよう。


てなわけで夜はコンガ叩いてたから昨日は全然勉強しませんでした。まぁいっか。


と今日勉強するつもりだったけど、なんだかんだで今日もあまりしてないです。

午前中ちょっと本読んで午後はカテキョ。
夕方から晩飯。
今日の晩飯はヘルシー料理。

まずチンゲン菜をゆでて鰹節を出し醤油でおひたし。

それ食ってる間に軽くイリコ出汁作って残ったチンゲン菜と白菜とオクラとシイタケと湯通しした鶏肉で鍋っぽいの。写真はそれね。

それ食った後、残った具とダシにみりんと酒と醤油と酒をいれて煮詰めたやつ。


最後のやつが一番うまかった!
あとチンゲン菜いいね!
株の部分を10秒茹でて葉を入れて15秒茹でて水で冷やすってレシピで、上の料理ではその後葉をはがして使ったんだけど、その後に芯の部分に残った小さい葉の塊をそのまんま食べるのがうまかった!


てなことで満足して今喰いタン見てます。
うまそー。
秋は食ですな。
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述森

最近理想的な生活リズムですわ。毎日朝が気持ちいい。

最近将来が本当にわからなくなりました。
自分がどのような選択をすればいいのか。どこにいけば自分を活かせ、自分が満足するのか。
わからん。

いろいろと可能性を考え、それらについてもある程度知ってみると、それぞれについて自分のやりたいことを見つけることができる。最近日々気持ちが揺れ動いてる。

さらにややこしいのは自分がそれを望んだとしてもその進路にいけるかどうかはわからないってこと。

今の俺ってのはかなり特殊な境遇だから、それだけ自分を社会の中で活かすのも難しいと思う。
例えば社会では自学するよりも正規の教育課程を受けた方が評価が高い。そらそうだな。すると卒業時俺はただの歯学士だ。社会の中じゃほとんど価値なんてないだろうに。その現実がさらにややこしい。特殊すぎるんだよなぁ。学校も自分も。
やりにくい。
年齢という時間のことも考えるとさらにややこしい。
全くもってやりにくい。



あ~。



明日の研究体験発表見に行きます。
4年生の皆さん、楽しみにしてますよ。

ガンコ

コンガ買っちゃいました。赤いコンガ☆
今週末には手に入る予定。

今年のお茶祭は4バンドほど出ます。
もうあと3週間か。

眠い。
まぁ、また書く余裕のある時に書こう。

うしvs俺


今日はいい日だった!

目覚め最高で起きて昼前まで部屋の掃除とか整理とか。
昼前に家を出てサルバドール・ダリ展へ。

ダリの絵って小さい部分にすごく偏執的なものを感じるんだけど、でも絵を見るとそれがなぜか絵の中に収められてて、その異常に感じる部分も見事に統制されているように見える。
例えば精神病を患った画家の絵なんかは見てると頭が痛くなってくるほど怖いんだけど、ダリの絵は細かい部分にそれを感じながらも全く怖さは感じなかった。
たぶん、ダリ自身偏執的な自分を知っていながらもそれを自分の一部として大きなスペースの中に配置することで統制していたんじゃないかと思ったけど、そもそもダリのことなんて俺は何も知らないのでただの思考遊び以上のものじゃないなと今気付きました。

んで昼飯は御徒町のうどんや「かがり火」へ。
この店いつきても待たされるんだよなぁ。席についてからうどんが出るまで。
でも、ここのうどんがまたまたうまいんだわ!
待つのは嫌だけど、うまいから文句なんて言えない!

その後スタ勉。

夕方に終わらせて、気持ちよかったので皇居をチャリで一周しました。
牛ヶ淵とか千鳥が淵も好きだけど、一番すきなのは半蔵門から霞ヶ関にかけての下り坂(写真やけど暗いな)。
皇居に住みたいなぁ。

一周したあと本屋行っておもしろそうな本あったから買って帰って早速読んで今に至ります。
ほんとはすごく読みたい本を見つけてしまったんだけど、まだ読めてない本があるから泣く泣く本屋をあとにした。

積読だなぁ、とか思いつつ頭に浮かんできたのは高校の後輩のうし君。といいつつ今は学年では上になってしまったのでうし先輩だ。
彼も積読がたんまりあるそうだ。本に対する考え方のようなものは似ているのかもしれない。だが、その対象が全く違う。
俺の今の興味の対象は金融だったり不確実性とかゲーム論だったりといった経済社会科学の分野だけど、彼の興味はトマス・ピンチョンだとかヒリス・ミラーだとかウィリアム・ギャスとかいった文学人文科学の分野らしい。(人物名は彼の日記から適当にもってきた)しかも英語の本ばっか。俺にゃ無理ですたい。
同じように本を積んでいってるんだけど、なぜここまで全く違った興味を持つようになったんだろう。
そのうち聞きに行くかもしれん。

俺はこういうのは生まれながらに決まるようなもんじゃなく、これまで生きてきた過程によるもんだ、と思ってるからなぜだろうと考えてた。
もう一つ加えるなら自然科学に没頭する人もいるだろう。まぁそういう人は本ではなく実験に没頭するのかもしれない。

別に本に対してに限らず、うしvs俺でいえば音楽という共通点はありつつも彼はたぶんロック志向で俺はジャズ志向だ。このような違いはいつどのようにして生まれるのか。

世の中にいる人がどのようにしてその人を形成してきたのかってのはすごく興味がある。一般化された人ではなく具体的な人で。
もっと人について知りたいなぁ。


話変わるけど本ってすごい。情報を得ることもできるし知恵を借りることもできるし娯楽にもなったりする。擬似ブレーンストーミングだってできる。

My本棚は自分にとって結構大事な財産です。本屋で本を買うときも本棚に並べることも考えてしまったりする。だからおもしろそうな本でもあまり並べたくないような題名だったり背表紙だったりすると買うのを躊躇してしまったりする。


日中を自分の勉強に向けられるのもあと一週間。
早いなぁ。

リズム

生活リズムが戻った!

昨日は特命係長のラストの黒幕が「わかった。金か」とかいってるとこで寝て、今日は朝7時ごろ目が覚めた。

外の天気天候もあって、気持ち良すぎ!


さて、朝飯は何作ろうかな、と。

でかい

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060921-00000004-agara-l30.view-000
でかすぎやし!
かさの部分は「なかなかうまい」らしい。塩ふって七輪で焼いてみたいな。



■違憲判決で首相「国旗に敬意も表せないのは変」(読売新聞 - 09月22日 21:02)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=91706&media_id=20
へんてこ教師が昔の学生運動のノリで権力にさからったら、判事までへんてこで勝訴してしまったんちゃうか、てのが俺の見方。
件の東京の教育現場では、教師が卒業式に日の丸に×書いたTシャツを着たり日の丸を参列者から見えない位置に掲揚したり、なんて例もあるそうだ。特殊な環境で教育を受けさせられた生徒がかわいそうだわ。

子猫殺し作家もだけど社会的な規範よりも一元的な感情を優先しちゃうのかねぇ。

ちょっと前にも紹介したサイトにあるアメリカの教科書に関するコラム↓
http://www.f5.dion.ne.jp/~t-izumi/atombomboj.htm
これ見るとアメリカの歴史教科書でも必ずしもアメリカ万歳ではないように見える。
でもアメリカにすごくアメリカ万歳なイメージがあるのはなぜか、といえば一番下の部分の読者投稿にあるように、結局のところ教科書のようなものではなく教える人間にあるんだろう。
教科書は教えるためのただの道具。

教育って時にすごく怖いもんだと思う。
なにしろその人の「常識」を作ってしまうもんだから。教育によってはもしかしたら俺も日の丸・君が代が戦争の代名詞みたいに見えてしまったかもしれない。俺がただの国旗・国歌以上の感情は持ち合わせてないのはただの幸運みたいなもんだ。
そんで、これについてはいわゆる戦争被害者といわれる中国・韓国でも同じだろうと思う。

もし、同世代の中国・韓国の人が日本の国旗・国歌に対して戦争と同じ意味を感じて憎しみを抱くのであれば、それは教育の結果だろう。しかし、その憎しみみたいな感情は再生産するべきもんじゃないと思う。
理想をいえばアジアという地域で経済だけじゃなく政治も協力できるのが一番だろう。(中国は政治体制が違うから特殊だけど)

次世代を作るのが教育だ。理想を作るのは次世代だ。
ならば必要なのは日の丸・君が代に対する過激なボイコットじゃないことは明らかだと思う。国旗・国歌は現在の国の象徴であるべきで過去の象徴であるべきではない。その意味で歴史はあくまで歴史として、感情・価値判断その他は捨象して教えられるものだと思う。


書き始めたら書いちゃうからまたこんなんなっちゃったよ。
ま、いいか。
へんてこ教師がいる現場の校長先生も大変だろな。

中北・・・

麺通団のHP見て初めて知った。

中北の大将が19日に亡くなったそうです。
UDONにも出てたのに・・・。
もうあのうどんと鰯フライは食えんのか・・・。
すごく悲しいです。

ご冥福をお祈りいたします。

朝のモヤモヤは解決しました。
見た夢を昼前に突然思い出してすっきりしました。
自分の思い描いてるような将来の夢みて気分がよかったのに、朝になるとその夢のことを忘れてなんだか変な気分になってたらしい。

あ~、わっかりにくい文章だな。


なんか今日の報道ステーションはいつもにくらべて内容がひどい。
なんだこれっていうくらいの偏向した印象操作。現職首相とか国会議員呼び捨てだし、繋がらないはずの情報を並べてむりやり解釈する構成とか妙におどろおどろしいBGMだとか。
いいかげん政治と結びつくのやめろよといいたいわ。
漠然とした不安を煽るって、どこの新興宗教だよ。


メディアにはさっぱりとドロドロしたものを捨てて、問題が何で解決のためにどうすればいいのか論じてもらいたいんだけど、なかなかそうはいかないようで。
右だとか左だとかに考えが偏るのはいろんな人間がいるんだから別にいいと思うけど、その後にその立場で思考停止してしまって相手を批判することしか考えなくなったら、もうただの勢力争い・権力闘争になっちまう。
メディアの役割ってのはどうしても偏ってしまう個人の考えの橋渡しをするために、両者の考え方をバランスよく報道し、論点を整理することじゃないかと思う。なのにメディアが偏ってたんじゃただ不安定な社会を招こうとしてるだけやん。

もちろんメディアだけじゃなく教育もそう。
日教組がどう考えようが自由だけど、その自分の私的な価値判断と教育とを結び付けちゃだめだろ、と。
学校もヘンテコな場所にしちゃいけないとこだろうと思う。
最近(?)は変な子供と親も状況をややこしくしてるらしいけど。


時代を経るにしたがって社会も変わってそこで生活する人もそれに対応して変わっていくんだろうけど、例えば俺の経験ってのは不変だから勝手におかしく感じてるだけかもしれない。これってジェネレーションギャップの典型だな。
でもやっぱりこの先どのように社会が変わっていくのか見えないのは不安だな。政治だけの問題じゃない。

財政とか社会保障のような内政的なもの、グローバル化の進展の中でのエネルギー戦略・科学技術戦略、外交、それらを行う人材の育成。
「格差社会」というのをキーワードにするのなら、単なる経済的な問題よりも、それぞれの個人間にあるそれ以外の部分の問題の方が大きいんじゃないかと思う。
自分の周りだけの本当に狭い範囲しか考えられない人間が増えると社会の不安定さは広がるだろうに。例えば「愛国」という問題はそこに行き着くんじゃないかと思う。
「国が自分に対して何をしてくれるかということでなく、自分が国に何ができるかを問いかけよう」まではいかなくとも、少なくとも社会の一員として社会を知りビジョンを持つことは必要だと思う。


偉そうに書いてるけど俺もまだ社会に対しては何もしてないんだよな。ちょっとでも他の人から立派な奴だった、と言ってもらえるような人になりたいです。

うむむ

何かやり忘れてる気がするな。
なんだろう、このモヤモヤ感は。

夏休みもあと10日ちょっと。
早い。けど早く習うことは習ってしまいたい。

あ~、なんだろ。もやもや

他人の人生

ファイザーCEOのハンク・マッキンネルの本を読んだ。
あと外資系企業でトップマネジメントになった人たち12人がどのように半生を歩んだのかを書いた本も読んだ。
んで今日高校時代からの友達ひらけんと話してきた。

どれも刺激的だったわ。

アメリカのファイザーみたいな大企業のCEOといっても市場原理だけで行動しているわけじゃないんだな。
そらそうか。
ジャック・ウェルチだって日本的な終身雇用型経営に対して敬意を表してた。

二つ目の本では、グローバルなビジネスの世界においてサラリーマン(?)として能力を発揮しキャリアアップして巨大企業のトップマネジメントになった超一流の人達の話。
こういった人達はチャンスを得てそれをものにする。その前にただの偶然をチャンスにする。失敗すらチャンスにする。
やはり思うのは周りを見て仕事するんじゃないんだな、ということ。正しいと思うことを実行するし、常にその時に必要なことをやっている。
チャンスを与えられた時に出したアウトプットも一週間たてば同じことを出来る人間はいくらでもいるんだろう。チャンスを与えられたその場で要求されたアウトプットを出せること、これが可能なのは天才か常に努力をしている人間。
天才なんてごくごく一部の人間で、あとの人間の能力の差なんてほとんどないんだからあとは日常の努力なんだろう。
あと、12人のどの人も経歴に拘っていたのでもなく、トップを目指していたわけでもなく、要求されたものをそれ以上の水準でアウトプットを続けてきた「結果」であったのも印象的だった。

あとはやっぱり「すごい奴」が集まる環境に身をおくべきなのはすごく感じた。逆ならばただ錆びつく一方だ。


ひらけんは今夏東大大学院航空宇宙工学専攻(長い)に合格した友達。日本でもそんなにいない空気力学の使い手?
国産のジェット機を作りたいらしい。
ボーイングというブランドもその3割くらいは表に出ない日本人の技術者達によるものらしい。(ひらけん談)


科学技術というのは国の発展にとって大きなキーワードになるものなんだろう。
科学技術といえば黒川清氏(http://www.doctrina-md.com/#kiyoshi_kurokawa)が一度テレビで語っていたのが印象的だった。
単なる自分の分野だけではなく、そこから繋がる広い社会システムの展望をもち、意見をもっている人。ちなみに経歴もすごい。

自分も勉強を続けて一つの社会システムの展望を持ち、社会に提案できるようになりたいなぁ。
天才でもなんでもない俺は、今は毎日人よりも多く勉強して密度の濃い時間を積み重ねていくことだな。

ジャーズ

ブルーノート行ってきました。
小曽根真the trioの十周年記念のライブ。

もう、なんていうか、「すごい」の一言なんだよな。
小曽根真、ジェームスジーナス、クラレンスペン
アドリブを当然するんだけど、アドリブなんてレベルじゃない。その場で新しいアイデアを生み出してその場ですぐ実行してしまう。新しいものなのに3人でその場で完成させてしまう。
才能ってすごいね。

毎度のことだけど音もすごい。リズムもすごい。
すごく柔らかい音なのに大きい音もあるし、めちゃめちゃ小さい音なのにすごく通る音もある。
音の種類から大小もいろんな音があるのに、全部調和しててすべてが耳に入ってくる。激しい曲でも音はきれいに聞こえる。
ドラムもすごく大きい音なのに破裂的ではまったくなくて調和を乱すことは無くて他の音も自然に聞こえるし、逆に指でウッドブロックをたたくような小さい音でさえも調和に加わって聞こえてくる。
楽器やってる身だからいろいろと考えてみるんだけど、この音の不思議はなぜだかわからないんだよな。

これが上質な音なんだな、と思った。
極上の音楽です。

小曽根真のライブはいつもすごく満足させられます。
ただ、今回はポテト頼んだのに出てこなかったのが残念だったわ。隣のテーブルにいってたんだと。
ブルーノートのスウィンギンポテト結構好きです。


もうすっかり秋ですなぁ~。

おごりこわい


とあるフランス料理のレストランに若いカップルがいました。
食事もすんで、そろそろ出ようかという時、男が話し始めました。

男:夢をみたよ・・・。きみの夢を・・・。
  そこできみは「大富豪」だ。
女:大富豪?
男:そう・・・トランプの。
  大貧民を見つけては弱いカードと強いカードを交換していたよ。
  そしてここぞという時・・・「2」を一気に3枚出して相手にとどめを刺すんだ
  大貧民達はぐうの音も出ない
  そしてまた大貧民とカードの交換を繰り返す・・・。
男:大富豪にとってもっとも脅威なのは「革命」だ。
  そこで大貧民達の革命を恐れた大富豪はこんな法律を制定する
  「革命禁止法」だ。
女:そんなものが通用するの?
男:もちろん大貧民達はだまっちゃいない。
  大貧民達は抗議デモを起こす。
  ・・・しかし大富豪は冷静だった。
  集団を鎮圧するもっとも有効な方法を大富豪は知っていたんだ。
女:有効な方法?
男:そう、「頭」だ。
  集団には必ずそれを統率する「頭」がいる。
  大富豪はそこに目をつけたのさ。
  大貧民のリーダー格の人間をまんまと丸め込んだ。
女:でも・・・どうやって?
男:簡単なことさ
  「2」のカードを2枚ほどそいつの懐に忍ばせてやるんだ。
  それで万事オーケー。
  リーダーをなくした集団はもはや機能しない。
女:恐ろしい・・・、恐ろしいわ大富豪の私・・・。
男:そうして革命禁止法はそのまま定着。
  はた目には大富豪の天下に見えた
  そう・・・はた目には・・・
男:実は大富豪にはもっと恐ろしい敵が潜んでいたんだ。
女:もっと恐ろしい敵!?
  それって・・・なんなの?
男:「おごり」だ。
女:「おごり」・・・?
男:まわりに敵のいなくなった人間には「おごり」が出始める。
  実力を過信し努力を怠る・・・
  そこには必ずスキが出来る!
  大貧民はそこをつけ込む!
男:大富豪はビッグカードを揃えていたにもかかわらず・・・
  大貧民に3~7のストレートをくり出され、ジ・エンド。
  大富豪はついに落城した・・・
男:わかるかい?
  「おごり」がどんなに恐ろしいものか
女:・・・

こうして二人はワリカンにして帰っていきましたとさ。
(「おやつ」5巻より)



ってことでギャグ漫画好きです。
ちなみに写真は「ギャグ漫画日和」の一場面。
あのおにぎりが喰いたいんです。うまそー。

それはそうと、ようやく生活リズムを通常に戻せそう。
よかったよかった。
昨日は先日買ったキッチンブラシでキッチンを気合いれて掃除してきれいにしてみました。ここに引っ越してから脂汚れ落としたりする掃除は一回もしてなかったからずいぶん気持ちよくなった。

そんでもって晩飯はゴーヤ入りチンジャオロースの卵とじ。

これがまためちゃうまかった!
なんか食べたあと2時間くらいお腹のあたりに満足感が漂ってました。


さて、今日の夜は贅沢の日なんで楽しみ。

ややこしくなってきた

なんかここ数日生活リズムがめちゃめちゃやわ。
なんでかめちゃめちゃんなったかさっぱりわからん。
とりあえず昨日は朝寝て夕方おきて予定を中止して渋谷に買い物にいきました。
まな板(買い替え)とパスタボトルとキッチン用ブラシを買った。

でめざニューみたらただいまの気温18℃とかいいよった。
暑い日が懐かしいわ。喉元すぎればなんとやら。



で、今日一日頭ん中でずっと考えてたのは今やってることと自分の将来のこと。

・医療現場で診療を行えばお金がかかる。その額は政府により統制され、その方向は抑制にむかっている。その原因は財政的な問題だ。しかし医療の現場で取引される価値は「財政的な問題」とやらと関係はないのではないだろうか。

・医療費が増大するのは、価格統制下においてはインフレがないんだから、それが多く消費されてるからだ。なのに総額を抑えるために価格を下げるというのは提供者が一方的に負担を強いられているということではないのか。

・医療という価値に対して、患者・保険・政府(税金)はどのような立場と姿勢で負担を行うべきなのか。またその負担の総和である価格の決定はどのようにおこなわれるべきなのか。

・そもそも価格を完全に統制する必要はあるのか。様々な形態の医療提供施設があるにもかかわらず、その全ての経営にまで責任を持ち、さらに推進されうる医療にインセンティブを与え、財源のことまで勘案した、「適切な」価格に設定するなんてことはもはや技術的に不可能なことなのではないか。


ん?こんなこと考えてなかったのに・・・。
また無駄に長くなってしまう。だけど書いたのでもったいなくて消せない・・・。
書きたかったのは別のこと。


医療費問題は病気部門のシックケアだけに焦点をあてるものではなく、社会システムとして考えるべきだろう。特に規制中心の政策系だけでできることは限られており、市場系と連結した分析が必要だと思う。まさに資源配分の効率性や社会的総余剰が高まるような方法をさぐる、経済学の核心のような部分だ。


俺はどうすればいいのか。
目的は問題の批評ではなく、問題の解決だ。このまま勉強と思考を続ければパースペクティブを得ることもできるだろう。そして自分なりの解決策となりうる社会システムの提案もできると思う。

でそれをどう実行するのか。
これまでの目標は厚労省だった。しかし厚労省でできるのは所詮政策系の仕事だけなのではないか。しかもそれは財政的なしばりと政治的なしばりによって、できることの範囲はかなり狭いんなんじゃないのか。社会システムの提案自体もセクショナリズムの構造にはあまりなじまないかもしれない。

なんてことを思い、ここ3日くらいいろいろと考えてる。
もしかしたら政策系の中で働くよりも、市場系の中で働いた方がより大きな役割を果たすことができるんじゃないか、って思った。


「日本の歯科医療を変える為の大きな力になるのが目標」
「変えるのが目標」にしなかった理由は自分という資源は一つであり、できることも限られてることを意識してのことだ。「大きな力」という部分には、その限られた自分という資源を最大限に使うという意味合いだ。
どのようにすれば自分を最大限に使うことができるんだろう。


わからん。
とりあえず寝る。

医療概観 過渡期

生活リズム乱れ中。
昨日は5時におきて午前午後勉強して7時に寝た。
12時に起きて4時間本読んで今にいたる。

ここ一週間過渡期だわ。
てか5年くらいずっと過渡期だけど。

少し前まで政策を中心軸にして勉強してた。
日本の医療制度は政策によるところが大きいから間違っていたわけでもないし、それを知ることは必要だったと思う。
でも最近一つの社会(業界)を構成するのは政策だけでないことに気付いた。つまりその業界は政策系と市場系それぞれの枠組みと力学により影響をうけており、社会問題となりうるものがそれを構成するもの全ての影響をうける情勢の結果だとしたら、その解決策を知るには双方を理解する必要があるだろうってこと。

後から考えれば当然のことなのに、これに気付くのずいぶん時間がかかってしまった。

おそらくきっかけは権丈善一氏の「再分配政策の政治経済学」にあったと思う。そこで、医療費は必要が生むのではなく、政治によりパイが決められていること、その医療費の伸びは少子高齢化によるものは少なく、多くは技術革新による付加価値の増加により、その原資となる国民所得と明確な相関があること、医療機関の需給は金利により影響を受け、現在ある医療問題もこれに影響を受けたものが多くあることを得た。

そこで、医療は政策系によりなされ、市場系からの影響は国家財政上のパイの取り合いによる政治の場からの影響で、間接的なものであると思ってたのが、思いのほか市場系からの影響をダイレクトに受けていることがわかり、視点もしくは視座を大きく変える元になったと思う。


これにより燻ってたものが大きく晴れた気がする。
政策系と市場系、双方の影響を受ける社会を、これまで政策系のみから見てたんだから当然だ。

市場系を見ると、とたんに大きな社会が広がってることに気付く。そりゃそうだ。そこには財政的な制約も政治的な制約もないただ一つの市場であり、自動車だろうが飲食だろうが各産業が同じ土俵で戦っており、多くの企業が生産を求めて戦略を練ってる。

その中で医療というのは経済主体の最小単位である家計にとって消費選択の一つにすぎない。意味合いとしては自身の健康を維持するためのヘルスケアとシックケアという二つの構造のうちの一つでしかない。
そこで気付いたのは現在の枠組みというのはあまりに政策系とシックケアに傾いているのではないかということ。

現在の社会保障制度は出来高払いの病気保険。保険は国や保険組合が保険者となり国民が被保険者となり、医療現場における医療費の7割はここから出ている。一方、医療現場では医師と患者という関係であり、医師は患者に価値を提供し、その代価の7割を保険者に請求する。

まずここに一段階の医療費増大の構造がある。患者は価値に対してその代価の3割しか負担しないんだから、本来の代価に対して消費が促進される。ところが残りの7割は消えるわけではなく、他に負担が移るにすぎないので全体としての医療費は増大する。

さらに、疾病構造の変化に伴い、現在死因の中心は生活習慣病になってきている。生活習慣病というのはその名の通り、その発生には生活習慣が深く関わっていると考えられている。つまり生活習慣病にとって、それを構成するのは長いスパンの発症以前の後に発症があり、予防的な介入により発症を抑えられる可能性がある。にもかかわらず現在積極的な介入があるのは発症後であるシックケアの部分であり、当然長い期間では高いコストがかかるようになっている。


公的な介入の意義は、情報の非対称と医療の不確実性から患者を守り、健康という価値を積極的に消費させること。
その意味で前者に書いた構造もある程度正当化されるだろう。しかし、医師も患者もインセンティブが消費の方向に向かった場合、これは行き過ぎた消費になりうる。特に安価な老人医療においてこの傾向があるのは周知の通りだと思う。

そこで視点を変える。
上に書いた後者の構造から、現在の疾病構造で予防は大きな医療費削減要因になるのではないかと仮説を立てることができる。
ただし現在の構造では患者側にも医師側にも予防に対するインセンティブが働かない。自堕落な生活をして病気になってから医療の世話をうけるというのが往々にしてある。
ここにシックケアとヘルスケアの考え方の統合が必要になる。予防というネガティブなものでも健康というポジティブものでも、そのどちらかにインセンティブが働くようにすべきだと思う。医療貯蓄口座も有効な手段だろう。
ヘルスケアについてはそこまで高度な情報と技術が必要なわけでもないので公的な介入は必要なく、市場の役割だろう。健康増進法の制定や健診事業等政策系による介入はあるが、健康というポジティブな目標のためには市場系によるサービスの提供が一番効率的なのではないかと思う。ただ、ヘルスケアとシックケアを結びつけて市場系がこの分野に参入するには市場教育とインセンティブがいくらか必要だと思う。


また、公的介入のありかたについて、社会保障政策の現物支給として医療がある。その医療についてもどこまで介入するのがよいのか。現在はほぼ完全な価格統制をすることにより医療部門全体を公的に統制している。つまりそれは医療全体が政策系により財政的な制約をうけることを意味し、新たな付加価値を生み出すことに制限をかけていることを意味する。
ところが、医療技術は政策系とは無関係に技術革新をし、付加価値を生み出していく。その上現場では上に書いたように、医師-患者間において価格よりも価値を重視して取引が行われる。それを無理やり財政的な枠に押し込めて統制する方が無理があるのではないだろうか。
それならば、診療内容に対する規制を緩め、付加価値をつけることを認めれば公共セクターの負担もすくなくなるのではないかと思う。簡単にいうと、差額ベッド型の基本料金+付加価値型をもっと広げたらいいんではないかってこと。
病院経営の面倒をすべて面倒みようってのが無理があるんじゃないかと思う。

その新たな付加価値の分だけ患者は負担することになるかもしれないけど、元々患者が得る価値に対する代価であり、その結果生じる総額医療費の増大には何の問題もないだろうと思う。誰も10年前からの携帯料金負担に文句は言わないように。
でも、歯科には差額徴収問題っていう黒歴史があるんだよなぁ。
ただ、現在は情報技術の発達により情報基盤を整備することができるからある程度モラルハザードは予防できるんじゃないかと思う。



他にも薬価の決まり方とか検査費用とかも書こうと思ったけど、長くなったので終わり。

3時間かかってるよ。前の記事もそれくらいかかった。
整理になっていいんだけどね。
ただ、目が疲れた。

ヘルスケアと今後

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=84783&media_id=4
看護師不足⇒http://mixi.jp/view_diary.pl?id=204415462&owner_id=271459
医療者のような専門職は養成数を市場で簡単に調整することはできないから、その数の調整には慎重でなければならないと思うんだけど大丈夫なんかいな?当然考慮してあるんだろうと思うけど、過去の歯科医師養成政策を知ってる身からするとすごい不安。

医師や歯科医師にもEPAにより人的交流があったりする。
例えばシンガポールとは2002年に締結・発行したEPAにより、日本側医師7人・歯科医師2人、シンガポール側医師15人・歯科医師5人を上限にそれぞれ相手国の医師・歯科医師を診療相手は外国人という制限つきで受け入れることになってる。これはEPAによる受け入れの枠であって、相手国政府によってはこれ以上受け入れることもあるそうだ。
ちなみにこのEPA締結前は医科歯科歯学部と阪大歯学部からの派遣のみ認められてたらしい。

医科歯科でも時々センセが「海外協力の道も期待されてる」なんていうけど、具体的に言ってくれなきゃわかんないよ。俺は貧困地域での奉仕的診療行為ばかり想像してた。実際のこういった海外協力はほとんどが現地邦人相手らしい。

元経済産業審議官の佐野忠克氏もサービスとして日本の医療を海外市場に売ることを考えていると言っていた。(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=175446465&owner_id=271459) ただ、歯科医療単独でみるなら臨床技術という面で日本が海外に提供できるものなどかなり限られてるんじゃないだろうか。


視点を変える。
ヘルスケアの市場規模ってのはばかでかい。正確にいうと健全な生という言葉の元に体系付けられるヘルスケアとシックケアの市場ということになるけど、その市場規模は自動車市場すら相手にならないらしい。数字さがしても見つからなかったからもしかしたら間違ってるかもしれないけど、まぁ感覚的にあながち間違いでもないと思う。

さらに高齢化と情報の氾濫によりさらに社会全体のヘルスケアへの関心は高まってきており、成長市場でもある。シックケアは生からの根本ニーズであり、ヘルスケアは健康という奢多的な財として余裕を持つ人々にもニーズがある。しかもこれらは文化による違いもさほど大きくなく、グローバルな産業として形成されつつある。

一方公的セクターでは社会保障として制度を持っているが、どの国でも医療費の増大に歯止めがかからず抑制に躍起になってる。なぜ医療費のコントロールが難しいかといえば、それは根本的に哲学的な価値判断の問題を含んでいるからだろう。

例えば功利主義の立場に立てば、同じ医療サービスでも元々の健康度が低い障害者やガン患者と健常者では障害者やガン患者に提供するサービスの方が価値が低いことになる。余命4週間と診断された人が5割の確率で余命が一週間伸びるが5割の確率で余命が2週間減る薬は否定される。
もっと身近な例でいえば、喫煙がQOLに対して害を及ぼすかは未知であるが、医療者は患者に禁煙をすすめることにも通じるんだろう。
医療技術の進歩によって「語りえないことについては人は沈黙せねばならない」とも言っていられなくなっている。


今後ヘルスケア&シックケア産業はどうなるのか。
現在の抑制ありきのシックケア中心の社会保障政策は転換を余儀なくされるだろう。技術革新は進むし、人口構造変化やヘルスケア部門の進展により、より体系化された制度を設計しなければならなくなると思う。消防署は消火よりも予防に力を入れようとするように予防を重視するような構造になるんだと思う。
そこで現在の政策系の役割が大きい社会制度が市場系主導に大きくパラダイムシフトしていくと思う。財政的側面からもこれは不可避だろう。


ここに大きく歯科医師の役割があるのではないだろうか。
医師はキュアの専門家として大きな役割があるだろう。歯科医師はどうか。歯科の二大疾患であるう蝕と歯周病はいずれも予防可能であり、予防の分野も近年かなり発達してきている。
さらにあらゆる年代層を相手にすることがあり、かつ定期検診により日常的に生活に介入することが多い。もともとヘルスケアとシックケアの中間にあるような職ってことだ。
つまりそこからヘルスケアへ介入することができるのではないか。

歯科を政策系により縛られた一つの診療科として見るのではなく、ヘルスケア・シックケア双方の入り口であると捉えれば大きな可能性が見えるのではないだろうか。いったん入り口としての役割を得れば、冒頭に言ったようにヘルスケア・シックケアともに市場はとてつもなく大きい。
あとはその可能性を活かせるかどうかなのではないかと思う。




ふぅ。
一本のコラムっぽいものを書けるようになったのがうれしいよ。

今日こそ晴れろ。湿気はもういらない。

伊右衛門とマーケティングと歯科

今日はお茶祭関連のCAP会の後、二日連続でアカデミーヒルズへ。

演目は「成熟市場を切り開くマーケティング&ブランド戦略~「伊右衛門」開発ストーリーに学ぶ」で講師は沖中 直人ってサントリーのやり手っぽい人。今気付いたけど直人やん!
その後どっかの教授とどっかの教授が加わって鼎談してたけど、それはあんまピンとこなかった。
なんで行こうと思ったかといえば、成熟市場って言葉。歯科にそのまま結びつきそうやん。


講演の内容はほぼ伊右衛門のマーケティング戦略と製品開発に関するもの。

まず根本にあるのはサントリーの品質からくる自信。
ウイスキーでもお茶でも、それを通して文化を提案するということ。
そして従来の平面的製品ポジショニングマップへの疑問から、「おいしそうに見えて、おいしいこと」を目指してバリューアップの視点からの製品開発を目指したそうだ。
例えば企業側としてはコスト感などから「○○が従来の2倍!」なんていう製品スペックの押し売りをするが、消費者から見れば会社の都合なんて関係なく商品を選ぶ。

ペットボトルのお茶の市場では男性の消費の方が大きいそうだ。それは水分を失いがちであることや、男女雇用機会均等法により会社からお茶汲みがいなくなって自分で買うようになったこと、などがあるのではないか、と考えたそうだ。
ただ男性は女性に比べ、お茶を選ばない。
パッケージには大した関心を見せず「おーいお茶」を買ってしまう。いわばコモディティ市場。
そこに食い込むには従来の枠を変えただけの製品ではだめ。

お茶というものを見直してみると、日本の文化とは切っても切れない関係にある。単なるコンビ二おにぎりと、竹笹につつまれたおにぎりだと多くの人は竹笹につつまれている方を選ぶだろう。多くの人は別に幼い頃に竹笹につつまれたおにぎりを食べた経験などない人ばかりなのになぜおいしそうに見えてしまうか、といえば、それが日本文化としての姿であり、スローフードスローライフの典型的な姿であるからではないか。

そのお茶は現在どのように売られているかというと、缶飲料からペットボトルに容器が変遷した結果、消毒温度が下がった。
その結果おきる殺菌力の低下を茶葉を変えることによってカバーした。つまり抗菌力の強いカテキンを多く含むお茶、つまり苦味の強いお茶となる。それはお茶のうまみを犠牲することと同意である。「生茶」は香料を加えることによってうまみを出し成果を得たが、それは所詮偽の味ではないか。
そしてペットボトル内の微生物をそこに入れたお茶によって殺菌する従来のやり方は、消費者の目から見るとやはりおかしいものではないか。

そこで何をしたかというと、無菌室をつくり、そこでお茶をつめた。これにより殺菌力の低下をカバーすることができた。もちろん設備投資は巨額ではあった。

そして福寿園。
これは案外簡単で、200年お茶を作り続けてのブランドというのはやはりすごいことだ。そして大量の茶葉を買いそれをすべて自社で製品化できるのは福寿園だけだったそうだ。

そしてCM。
モックンと宮沢りえの現実にはありえないような夫婦像。そして久石譲の音楽と上田義彦の撮影。イメージには暖簾を使い、ペットボトルは竹筒をモチーフにした。


誰も予想してなかった大ヒットってわけ。
俺も大ヒットになったのを何かで知った時、CMのイメージがあったからただそれが良かったんだと思ってたけど、やっぱり単純にそれだけじゃそこまで売れないよな。
なんでも京都の本物のお茶フリーク(?)からも「おいしかった」と言われたそうだ。


ここでやっぱり得たのはバリューアップであり、付加価値をつけること。そしてマーケティングの考え方。

ミシュランは車を使ってもらうためにレストランガイドを作った。ミキハウスは子供服を買ってもらうために団塊世代対象の会員制サービスを始めた。
歯科の需要は何も「患者」だけではない。ヘルスケアとして考えれば予防や美容はもちろんだが、例えば口臭や味覚に関するものに対しても顧客層はあろうかと思う。歯科なら食生活が豊かになれば関心が高まるんじゃないか。他にもいろいろあると思う。

あと付加価値を生むこと。
歯科の市場は公的な介入の寄与が大きいだろうが非常に低く抑えられている。しかし、欧米の患者は歯科治療に日本の診療報酬の何倍も払う。
国民一人当たりのGDPでいえば日本はアメリカについて世界二位であるのに、生活の基本ニーズであるはずの歯科においてなぜこれほどまでに支出が抑えられているのか。

それは単純に欧米の歯科治療の方が診療所が広くレベルの高い治療をしているということや、一般市民の歯科に対する価値観の違いというものがあるんだろう。他にもあるかもしれない。

治療レベルと診療所の広さを差として見るのであれば、それは付加価値の違いだ。日本の歯科医療は安いが診療時間が短く、不十分な治療が多い。はたして日本人はそれで満足しているのか、もしくはそれ以上を求めることがないのか。

俺の考えでいうと付加価値というのは大きくあがる余地があると思う。かつてただと同義であった水は産地を選びパッキングすることによって市場で取引されうる価値を得た。日本の歯科業界でも同じことが可能だと思う。

歯科では身近なところにわかりやすいブランドがない。
だからこそ、ただでさえ街中に歯科医院があふれかえってるのに医科歯科の付属病院の患者数は増え続けているんだと思う。

経営的に成功した歯科医院も医院を大きくするのではなく、分院を作ろうとする。分院長をやとって経営は任せて暖簾代をもらおうとする。
自由診療をする医院も個人で稼ぐこと精一杯で、それ以上のことを考えようとはしない。


本を読んだり、人に聞かれた経験から「良い歯科診療」への需要は案外高いのではないだろうか、と思う。良い診療のわかりやすいブランドがない。ネットでは歯科医院の人気投票みたいなものはあるが、世間の認識とは大きな隔たりがあるだろう。
もっともその「良い歯科診療」というのがわかりにくい。
それを補完するのは今は学歴にほぼ独占されている「ブランド」だろう。

安心感のあるブランドは必要だと思う。
一定以上の治療を継続して提供すれば過剰である地域であればあるほどそのニーズは高いと思う。



歯科のマーケティングは他にもいろいろ考えることはあるけど、また長くなったので別の機会に。

アメリカではNFLが開幕したようです。
明日こそ秋晴れになってほしいなぁ。

キャリアと仮説

今日は昼飯食ってミクロ経済やった後、六本木ヒルズにヒルズセミナー行ってきました。

講師は石倉洋子で演目は『世界級キャリアの作り方 〜 実践的国際派プロ論』。
別にキャリアがどうのこうのっていうのではなく、講師の経歴見て一流の人だと思ったから行ってみました。
期待を裏切らず非常に得るものの多い講演でした。


現代の特徴は、時間や距離、境界などが曖昧になり、社会において個の意味が強くなっているということ。
それは情報のコモディティ化を促進し、権威を分散させることになる。例をあげるとブリタニカよりもウィキペディアへと人々が移っていくということ。今や情報を持つことの意味は薄れてきている。

アメリカで「なぜシリコンバレーが復活しとR128は沈んだか」というアナリー・サクセニアン著の本がある。シリコンバレーでは企業はopenであり、技術に対して価値を認めていた。一方ルート128では企業はclosedであり、経営者は金融出身だったため技術を十分に評価することができなかった。
これから示唆されるものは企業と人はお互いに集積し交通することにより高い技術と高い能力をもった人を生み出すようになるということ。
世界に目をむけると、シリコンバレーをはじめとして、インド、中国、台湾、イスラエルと各地に人と技術が集積するような「核」ができてきている。はたして日本に世界から人が集まってくるような「核」はできているのか。これは産業政策をどうとかインフラがどうとかいう問題ではないのではないだろうか。

終身雇用だとか年功序列ではグローバル化の波に太刀打ちできないばかりか、世界的な技術と人材の高度化に遅れてしまうのではないか。そして、何より現在日本人のpossibilityは下がってきているのではないだろうか。

個人間、個人企業間などあらゆる面でフラット化が進行する現在では、より仕事をパーソナライズすることが必要。例えばジュースを売るのでも商品を渡す時に瓶を回すパフォーマンスをすれば客はよってくる。それがプロフェッショナルということ。


などなど。一流の人の講演はたとえ演目がどんなものであれ、得るものはあることを再認識いたしました。

以下ある企業の新卒採用で求める資質
--------------------
【Problem Solving】:
枠のない自由な、独自の発想。創造力を伴う構想力
具体的、数値的な事象、および、概念的な事象についての論理的な理解能力
未知なるものへの探求心
不確実な状況においても粘り強く思考し続けることができる姿勢
社会的な活動やビジネス遂行に必要な判断力

【Influencing others】:
個人としてのインパクト。対話の相手へのよい意味での影響力
自分に自信を持ち、一方で、他の人の考え方や行動に関心をもつ態度
他人の意見をよく聞き、正しく理解し、適切に返答できる態度、コミュニケーション・スキル

【Leading others and building relationships】:
機会を自ら捉えて、自主的に行動する姿勢
リーダーとしての責務を引き受ける意欲
目的を共有する仲間を、高い生産性を有するチームとして組成、指導できるスキル
他人の感情や自分とは異なる考え方に対する敏感さと寛容さ

【Achieving goals】:
挑戦することをおそれず、個人でリスクをとった判断、行動ができること
自分自身に高い目標を課し、かつ、結果を出すことへのこだわり
様々な障害があってもあきらめずに努力し、成果を出す力
(McKinsey & CompanyHPより)
--------------------

おそらく社会のどの業界であれ求められる人材像なんだろうなと思う。
日本の人材育成はどうなってるんだろう?ゆとり教育に明確なポリシーはあったんだろうか。
ある程度基礎教育は整ってるんだから資質をもった人はいっぱいいるんだと思う。だけどそれを優れた人材に伸ばす環境にはなってないんだと思う。医科歯科にしても、それなりに能力をもった人たちをいきなり2年間遊ばせてる。遊んで学ぶこともあろうかと思うけど、それに大きな期待をできるような環境でもない。

過剰な中でどのようにプロフェッショナルを育てるか。
上にもあるように職能をパーソナライズし、個人の価値を高めることだろう。研究でも技術でもいい。画一では育たない。

医療もマーケティングするなら技術提供の数を増やすよりも技術水準を高めた方がはるかに効率がいい。歯科が医科に遅れをとっているのはこの部分だろう。医科において技術革新が次々と進み、一つの技術に対する付加価値が高まる間に、歯科では新しい技術は数えるほどしかないのではないだろうか。



と、また長くなるからここで終わり。
まぁ、演目は「キャリア~」でも周り見れば中年とかで、自分の若さと自由度を再認識できました。

あ、仮説関連書くん忘れとったけんまた今度。

output

スタバ演奏無事終了しました。

昼起床して飯食って家でかるく本読んで出発。
2時間前にまず挨拶にいき、部室に行って楽器・機材等の運搬準備、そして一時間前に店にそれらを搬入し、サウンドチェック。その後メンバーの一部は軽くリハするために部室にもどり、5分前に戻ってきて7分遅れくらいで開始。
全部で6曲45分くらい。選曲も演奏もかなりよかったと思います。

今回はあんま自分に余裕がなかったんで完全に裏方やったんやけど、どうも裏方仕事はかなり好きなようです。事前交渉に著作権等事務手続き、当日のステージマネージング。かなり規模は小さいけど高校ん時を少し思い出しました。
ただ自分で全て把握し納得しときたいっていうめんどくさい性格らしく、口を出しすぎるきらいがあります。経験を積んで多少人に任すことができるようになってから、裏方仕事も多少うまくなった気がします。


んで無事終了して「お疲れ様」も終わって少し早めに抜け出してスタ勉。家に帰って読書。

行政と国会の政策決定過程をかなり細かく実証的に分析した村川一郎著「政策決定過程」と、厚生省の事務次官を経て事務方の内閣官房副長官を8年7ヶ月勤めた古川貞二郎氏の「霞ヶ関半生記」を読み終えた。

内閣官房副長官てのは各省の官僚のトップを会社の社長だとすると会長みたいなもので、各省の実務よりもその取りまとめを行い、またそれらと官邸を結びつける役割をもつ役職、と思ってる。なんでも「首相が風邪引いても閣議は開けるが官房副長官が風邪引くと閣議は開けない」みたいに言われることもあるようで、国会にとっても行政にとってもなくてはならないポストらしい。

いろいろ考えたこともあるけど、全部は書こうと思うと毎度のとおり日記が長くなりすぎるのでまたこんど。



これまでいろいろと勉強して自分の知りたいこともおぼろげながら見えてきて、そろそろoutputのことを考えてる。

outputの効能は、
・過去の成果を整理しまとめることができ、それにより新しいものを吸収しやすくなる
・自分がやってることを周囲に広めることにより、新たなネットワークを作り、議論が活性化される可能性が生まれる
ってのが考えられると思う。

これまで勉強してきたことは確かに頭の中にあって、それらによってかすかに全体像は見えてきてるんだけど、でも同時にそれらは記述して説明できるほど体系化されてないこともわかってる。さすがにこのままではいけないと少し焦ってる。

さらに、自分がひとりでちまちま考えてたって世の中は何一つ変わりはしない。実際これまで世の中に対して何一つ実績を作れてない。「所詮口だけ」の人間にだけはなりたくない思いが強いのでやっぱり少し焦ってる。


outputの方法は今んとこ3つくらい考えてるけど、なんとか9月中に一つくらいは実行に移したい。
知識の整理と体系化って大変な作業だけど、とりあえずプレゼン資料くらいは作っておきたいと思ってる。
過去の講演でもらった官僚達のプレゼン資料は超わかりやすかった。的確な資料が的確な量だけ的確に配置されてる。目標はそれだな。

ただ生活と同時進行できるかは心配だけど、せっかくの夏休み。思いっきり時間を使わないと損だろう。



難しそうだけどとりあえず明日もがんばろう。

明日

明日御茶ノ水のスタバでjazz研が演奏します。
18時から4~50分。

ひまだったらよろしく~。
とりあえず事務告知。

道に迷った

昼起床。飯はトマトソースのパスタ。

スタ勉。
「もののけ姫」購入。

突然ですが秋は大好きです。秋の空気も好きだし、虫の音が聞こえるものいいもんだ。
毎年秋は特別です。
だけど秋は感じる心が自分の中で台頭してくるので迷いがちになってしまいます。

今日もそんな感じで頭がざわざわしてたのでらんぷ亭で牛丼という晩飯を食った後、勉強せずに家に帰り、テレビを見てもどうも落ち着かないので「もののけ姫」見ました。

前にも書いたことあるかもだけど、もののけ姫は公開時に映画館で3回見てます。当時3箇所あった高松市内の映画館それぞれで一回ずつ。

で、やっぱ俺この映画好きだわ。

あと、ジブリ映画は「悪者」はいないことにようやく気がついた。漫画ナウシカでもそうだったし「もののけ」でもそうだし「ハウル」でもそうだ。
主人公と対決するような図式でも、それぞれが生きようとした結果であることを宮崎作品ではちゃんと描いてると思う。
最近の俺の研究の根本にもその仮定(?)があるのでちょっといい気分です。

その後少しはいい気分になったけど、やっぱりなんとなく落ち着かなかったのでチャリでサイクリング。
湯島から本郷通りを通って駒込まで、そこから西へ大塚を通って池袋へ。その後なんとなく行きたい道を選んで走ってたらまんまと道に迷いました。

考え事してる時に道に迷うのほどタイミングのいいものはないです。知らない道の方が考え事にはいい。
一応新宿方面に行こうと思ってたので迷走しながら高層ビル群を見つけ新宿へ。

で新宿にきたので麺通団へ。
映画「UDON」の効果でえらい客が増えたそうです。
そらユースケがあんだけ「麺通団!」なんていってたら宣伝になるよなぁ。

その後なんとなく漫喫へ。
読みたい本も特になかって、手に取った本が「ナニワ金融道」。
なんでやねん!つー声が聞こえてくるようですが、気にしない気にしない。

4巻まで読んで眠くなってきたので新宿を出て家まで帰ってきたわけですわ。
落ち着いた落ち着いた。
とりあえず、最近愛に飢えているようです。
笑わない笑わない。


ふぅ。
迷えば深い秋。

UDON !!!!!!

昼起床。
今日はカテキョがなかったのでようやく六本木ヒルズで「UDON」みてきました。たまたま今日(昨日)は一日だったので1000円でした。
てか、六本木ヒルズの映画館広ー!
映画見るのは大抵帰省中で、東京で見るときも錦糸町のおんぼろ映画館だったんで結構新鮮でした。これからはここで見よう。


で「UDON」。
公開日と翌日に数人のマイミク香川人の日記の題がUDONになってたのには笑えました。たいていの香川人はうどんでつながってます。

内容はというと。
結構実話を骨組みにした映画。うどんをテーマにしながらここまで話が広がったのは、それがさぬきうどんで、そのさぬきうどんが香川県人と切っても切り離せない「文化」だからでしょう。
それにしても香川出身のタレントはほぼ出てたんちゃうかな。
フジの中野アナとか藤澤恵麻とかナンチャンとか松本明子とか高畑淳子とか。あとローカルなら田尾さんとか、本物ちゃうけど、うどん部も出てた。
あとうどん屋も。中北とか山越とか山内とか中村とか池上とか谷川とか。登場してるのも本物の店のおばちゃんとかおっちゃんでした。さすがに全部はわからんかった。
ブームのおこりとその結果についてはかなり実話に基づいてると思う。路駐云々の話も本当。

正直香川県を前面に押し出した映画なんで、一般の人にどこまでうけるのか心配です。でも最後とかは結構感動して涙出そうになってたんで、ぜひ異文化コミュニケーション好きな人だけでなく、軽く見たい人もぜひどうぞ。


その後jazz研セッションへ。
ひさしぶりで楽しかったんだけど最後に先輩にダメだしされて凹。

多くは書かないけど思いのほか凹んでしまいました。

んで気分転換にさっきDVDでハウル見ました。
やっぱ完成度たけー!
最近ゲドをみたんでどうしても比べてしまうんですが、やっぱりゲドとは比較にならない気がします。


明日は昼起きることにしよう。

価値判断

今日は遅めの朝に起床。あまりに心地よい天候におどろいた。
ブランチはカレーとナン。漢字だと饢らしいが、全く読めない、というか見えない。(てかupすると表示されてないやないの)

気持ちいい天気だったのでカテキョにチャリで行こうと思ってたけど、チャリのハンドルに鳥の糞がついてて洗いに部屋まで戻るのがめんどくさかったので、結局いつもどおり地下鉄で。
てかカテキョ4日連続やん!

てことでカテキョ終了後、御徒町の回る寿司を食ってスタバ勉。また新しい本にとりかかりました。まだ終わってない本は2冊あるけど。たぶん3冊同時進行くらいが気分転換的にもちょうどいい。


で、関係ないけどきになるサイト見つけたので紹介。
http://www.f5.dion.ne.jp/~t-izumi/index.html
中身がいろんな知識と経験に裏づけされていて興味深いってのもあるけど、俺的に特に興味深いと思ったのは「もののけ姫と靖國神社」ってコラム。また靖国かなんて言わんといてください。純粋に考え方としておもしろいと思うんで。

ここで書かれているのは、神社に祀るということの意味。
古来より日本人が人を祀るのは「非業ひごうの死をとげた人の御霊をまつり、たたりを防ぎ、怨霊からのがれようとする」という目的が根本であり、それが善人であれ悪人であれ、非業の死である限りその人を祀るのだ、というものだ。
さらに祀るという行動も、「鎮まりたまえ、そしてその力で我らを宜しきへ導きたまえ」という意味なのであり、参拝するという行動も、恩義を感じてのものだったり褒め称えたりする目的であるわけでもない、という主張をしている。


確かにそうだ。
すると、A級戦犯がどうのこうのってのは関係なく、周辺国が参拝を批判するのは、日本の文化を理解していないだけ、ということになる。さらに、国内で議論が巻き起こってたのはまさに「周辺国に振り回された」だけのことだったってことになる。もっとも靖国参拝を問題にしはじめたのは日本人らしいけど。
政教分離という点は残るのかもしれないが、それはもっと法律の技術的な問題だと思うので俺にはわからない。


福澤諭吉の「文明論之概略」に「利害得失を論ずるは易しといえども、軽重是非を明にするは甚だ難し」というものがある。

物事の価値判断は難しい。
今の世の中情報は溢れかえってるけど、本当に確かな情報を手に入れることなんて限りなく難しいことだし、手に入れた情報を判断することも難しい。
価値判断をすることによって新たな情報を見落としてしまうこともあるかもしれない。
価値判断をしなければならないから、現実の選択に頭を悩まされるのだろう。少なくとも将来についての情報なんてないし、現実についても全てはわからない。

普段はなるべく不用意な価値判断はしないようにしてるけど、まだ隙があるのを自分で感じる。
もっと自分を洗練させたいなぁ。もちろんさじかげんも大切にしながら。


とりあえず明日も晴れろ。雨は嫌いだわ。
プロフィール

udnkui

Author:udnkui
香川県出身。
京大大学院の博士院生。医科歯科卒。jazz好き。神社巡り好き。独学での法律、政治、経済、経営等社会科学の基礎知識と国会議員、外資投資銀行(米・英・欧)、学際系研究室などでのインターン経験があります。
興味事項:社会、科学、自然、芸術
日々精進してます。

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