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2月14日

つい先日、デコポンに負けました。
衝動買いです。

写真

御値段380円也。
ただここまでデコられたら買うしかないです。10人中3人くらいは同意してくれるはず。
うまかった。


あと、風邪気味なのでオニオンスープ作りました。(論理的な繋がりではなく気分)
買ってきた玉ねぎ3個をオリーブオイルで軽く炒め、厚切りベーコンと冷蔵庫に残ってた人参2分の1本を切ったものと一緒にコンソメスープで4時間くらい煮、最後にホワイトペッパーたくさんとブラックペッパー少しを入れて完成。

めちゃうま。

それが昨日の話で、今日はシチューが食いたくなったんで、このオニオンスープに牛スネ肉とマッシュルームを加えて一時間くらい煮たあと、シチューの元を入れてビーフシチューにしてみました。

これまためちゃうま。

ただ、スネ肉とマッシュルームとシチューの元だけで1702円もかかってしまった。スネ肉は肉の中で一番好きだけど高いんよなぁ。てか牛が高い。
明日と明後日の晩飯はシチューです。




さて、出来事日記。
先週蒲田の薭田(ひえた)神社に行ってきました。
場所は大田区蒲田の京急蒲田駅とJR蒲田駅の中間点からちょっと北に行ったとこ。
由緒は、和銅2年(西暦709年)に僧行基が天照大神、応神天皇、春日大神三柱を奉ったのが創建で、この地に集落ができると同時にできたらしいです。延喜式内社。

延喜式神名帳を見ると、東京都内で記されているのは大田区と西の府中だとか調布だとかにしかないので、おそらくほとんど人が住んでなかったんだろうと思われます。

俺に神社めぐりを教えてくれた先生に都内で由緒ある神社を聞いたときに教えてくれたのがこの神社でした。んで先週の日曜に突然思い立ってチャリを飛ばしたっていう次第。

勉強が一段落ついて銀座を出たのが16時30分で神社についたのが17時30分でした。

蒲田駅間のちょっと北くらいにしか場所を覚えてなかったけど、うどん屋めぐりで培った勘で社叢らしきものを発見し、無事到着。17時30分というと神社の閉店時間なんでぎりぎりでした。

写真

神社自体は小さかったけど境内はきれいに整えられていました。
さっさと参拝をすませ、帰途へ。

途中で三田に住んでたころに好きだったどんぶりやで晩飯食ったのもあるけど家についたのは17時半でした。
Google EARTHで測ると計約40kmの道程でした。さすがに少し疲れた。

そういえば途中で山王鳥居(珍しい。赤坂の日枝神社の鳥居が有名)を発見し、早速くぐってみるとそこはなんと寺でした。
寺に鳥居があってそれが山王鳥居ってことで帰宅後調べてみたんだけど、寺の名前が大福生寺という名前で割りと名のある寺だってことがわかっただけで、なぜ山王鳥居があるのかまではわかりませんでした。残念。



でこの週末はというと、用事のついでだったり、勉強後の気分転換がてらに日枝神社・赤坂氷川神社・芝大神宮・富岡八幡宮に行ってきました。何れも東京10社の神社。
一回まわってるけど(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=520141459&owner_id=271459)、これらの神社に初詣してないのでちょこちょこ行ってます。あとは亀戸天神と品川神社だけど、2社とも離れてるんんだよなぁ。

とりあえず東京都内では赤坂氷川神社が一番好きです。
都会にありながら神社の周囲だけ木々が生い茂り、空気が静かで落ち着いてて、境内には神木や明らかに古い狛犬などがあり、最高です。





で、この間に何があったかというと2月14日ですね。

さて、何の日かというと当然平将門の命日です。
平将門というと江戸においては特別な人です。

将門で特に有名なのは大手町の将門首塚。
都内の有名な心霊スポットでもあります。


なんで大手町のビル群の中、この首塚が残されているのかというと、過去幾度となく祟りがあったからだとか。

簡単に紹介すると、

首塚は江戸時代には大名屋敷の中で残り、明治時代には大蔵省の庁舎が屋敷跡に建ったが首塚はそのまま保存されていた。

関東大震災で庁舎が消失し、その整理の際首塚も崩して整地してし、その上に仮庁舎を建ててしまった。

仮庁舎で怪我や病気になる者が続出、ついに大蔵大臣や幹部職員14名が変死し、これに震え上がった役人が仮庁舎を取り払い、神田明神の社司平田盛胤(将門公の末裔)を招いて将門公の鎮魂を行った。

本庁舎に落雷があり、多数の死傷者が出た。この年が将門公没後1000年であったことから、急遽一千年祭を執行し、将門首塚保存費をあたらしく出すことに。古跡保存碑には大蔵大臣自らが筆をとった。

敗戦後、GHQが駐車場にしようとブルドーザーで整地しようとしたところ、何か石にあたって二人がその下敷きになり、1人が即死。その後この石が首塚であることがわかり、首塚が保存されることになった。

首塚の隣の土地が旧長銀と三井生命のものとなりビルが建てられたが、行員が次々と病気にかかり、神田明神の神職を招いてお払いをした。

首塚をはさんで2つのビルが建てられることになったが、供養してから工事をした方はなんともなかったが、もう一方は地下の工事中に二人が死亡し、同じ場所で怪我人も続発したとか。

「神社の系譜-なぜそこにあるのか」という本の内容を要約しただけだけど、財務省やGHQについてはそれぞれの資料が情報元だとか。



あと祀られ方もおもしろいです。
例えば神田明神は体、首塚は首というようにして体をバラバラにして祀られてます。
その神社が東京の各地にあるわけだけど、それぞれを江戸につながる街道と江戸城の門に対応して配置にされていて、江戸城に結界が作られていたらしいです。

具体的には
首塚(首)-大手門(奥州道)
神田明神(胴)-神田橋門(日光道)
鳥越神社(手)-浅草橋門(奥州道)
世継稲荷神社(首桶)-田安門(中山道)
筑土八幡神社(足)-牛込門(中山道)
兜神社(兜)-虎ノ門(東海道)
鎧神社(鎧)-四谷門(甲州道)
てな感じ。

さらに朝廷に反乱したこの平将門を祭る神田明神を江戸総鎮守とすることで、江戸の民を天皇から引き離す意図があったんだとか。



神社ってほんまおもろいですわ。
日本という国固有の宗教であり、同時に深く関わってきた宗教というだけでなく、それぞれの神社に由緒がありそれに関わる人々の生活が見える。
知識欲も刺激されるし、神社めぐりで土地めぐりもできる。
神社おすすめです。
興味あればもれなく洗脳してあげます。





ほんとは別に書きたいテーマがあったんだけど、明日のPBLの予習をしなけりゃならんので、ただの日記にしようと思って神社めぐりの話を書き始めたはずが、結局2時間半かかってしまった。
てかどんだけ神社好きやねんってくらい神社のことばっかやな、最近。
あくまで実生活は、一に勉強(自分の)・二にJAZZ・三に授業で空き時間に気が向いたらやってます。

あぁ、予習せな。
書き始めるんが遅いんよな。

とりあえず敬体で書くんはなんか疲れるわ。
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雪降 鬼

以下前置き。

11月から昨日まで日記を6つしか書いてないことが判明した。
一ヶ月に30個書いてたこともあったのに。
おそらく日記から遠ざかってた主な原因は2つ。
・一つは精神的・時間的な余裕がなくなっていたということ。
境となる9月末から10月末や11月末から12月末はお茶祭やjazz研関連のイベントがあったこともあり、それぞれ約一ヶ月間毎日何かしらの予定が入っていた。その忙しさと、ある日を境にそれらがなくなることによる過剰な開放で緩んだ気持ちで日記に向かうことがなくなっていたのだろう。
・もう一つは書こうとしている事の内容が複雑になってきているということ。
どんなに忙しくとも日々勉強は続けているし考えることも続けている。
いつもそこから得たことを日記にまとめようと思っているんだけど、学習する内容や考える内容が進むにつれ、その内容は複雑でわかりにくいものになってきているから、そう簡単に文章にすることが出来ない。中身のある日記だと事実を集めたり文章を構成するのが大変だから、一稿につきだいたい2時間以上かかってしまう。

特に日記に書く必要はないんだけど、日記を書いてたころと最近を比べると、日記をしっかり書いてた頃の方が、日々学んだことをしっかりと自分の中に積み上げられてたように思う。
当然単なる主観だけど、やはり一度勉強したことや考えたことを改めて文章にし直すという行為は学習にとって有意なことだろう、と思う。文章化するにはそれらの構造を把握し構築しなければいけないので、その部分に大きな意味があるんだろう。

とまぁつらつら書いたけど、結局は実際に日記(でなくてもいいけど)を書かなきゃ意味がないわけだ。別に書くだけなら事実ベースの本来の意味での日記でもいいもんなぁ。
てことでただの日記書きます。


前置き終わり。



前の日記からあったイベントといえば
1/22:先端医療開発研究シンポジウム
1/27:結婚式
1/30:PBIシンポジウム
2/1:節分イブイブライブ

写真があるのは
2/3:氷川神社詣

・先端医療開発研究シンポジウム
これはメディカルキューブっていう東大のTR推進機構設立に伴うシンポジウムです。TRっていうのは Translational Research のことで、基礎的な研究成果を臨床に活かすために研究することです。イノベーションのジレンマとか研究開発の死の谷なんて呼ばれるのはこの分野で、研究成果に実質的な付加価値をつけるのはこの部分だと思ってます。大変重要なことなんだけど、東大は京大阪大などに出遅れてます。東大生ちゃうけど。
学校おわってから急行したから半分も聞けなかったけど例によって懇親会でいろんな人に話しを聞きまくった。そんでもって収穫ありまくりでした。

・結婚式
アメフト時代の先輩の結婚式の2次会(@新宿パークハイアット)でjazz研が演奏しました。といっても10曲準備して演奏できたのは4曲だけ。
とりあえずうまいデザートいっぱい食いました。余興でエスパー伊藤と春一番がきてました。これはプチセレブ結婚式かな。でも最後の方はひたすら汚かったなぁ。

・PBIシンポジウム
いつもどおり、ではなかった。今回のシンポジウムは半年前から楽しみにしてた講師と内容でした。講師と演題は以下の通り。
妹尾 輝男氏『報酬から見た医療産業人材地図』
冨山 和彦氏『国際金融市場から見た日本医療産業』
妹尾氏は簡単にいうと経営陣を対象にしたヘッドハンターで、医薬品業界では第一人者です。最近だとノバルティスの社長をGEから引っ張ってきたのはこの人らしい。
冨山氏は有名な人。一番有名なのは小泉政権時代の産業再生機構のCOOをやってたということ。それ以前の経歴は東大在学中に司法試験合格してBCGに入社。そんでスタンフォードのMBAをとって堀紘一氏らとコーポレイト・ディレクション設立、その後CEOで、今は自分の会社経営してます。講演内容がずばり現在の自分の興味内容でどっぷり聞き入ってしまいました。
具体的な講演内容はそれに関する日記を書くときにでも書きます。
終了後の懇親会でこの冨山さんと20分ばかりお話させていただくことができました。非常におもしろい。言っていることは率直でわかりやすく、実に本質をついているように感じた。
これもまたの機会に。

・節分イブイブライブ
正月ライブをするつもりが、12月中にあったイベントの関係で部員の準備期間が減ったのと、部員の予定の調整で結局2月になってしまったライブ。
今回はただの定期ライブってことで4バンド(俺は3バンド)でした。
これまでは演奏者の偏りからピアノ弾きとベース弾きは重複しまくりだったんだけど、なんと今回はそれぞれ4バンドすべてで違う人が出ました。あとはドラム叩き。だが先は長し。
俺はまともな基礎練をぜんぜんしてないから大した成長はなく、同じ後悔をするはめになったんだけど、周りの人たちは大きく成長したように感じました。
と書きたいけど周りの人もまだまだ成長できそうな点があるのでがんばってください。今日マイミクになった方々、今後ともよろしくお願いします。

・氷川神社詣
雪の日


(湯島天神)

雪といえば神社でしょう、ってことで神社へ。
武蔵野国一ノ宮である氷川神社に初詣してなかったので行って来ました。
氷川神社は大宮にあります。ただし降りる駅は一駅前のさいたま新都心駅。なんでかっていうと一の鳥居がここにあるからです。

駅から100mばかり北に向かうとその鳥居がある。



(一の鳥居)
こっからひたすらまっすぐに参道がのびてます。
そのまま二の鳥居の鳥居を過ぎ、三の鳥居を過ぎると境内地。



(二の鳥居)



(三の鳥居)

そのまま楼門をくぐり回廊内にはいって拝殿へ。
GoogleEarthで測るとここまで約2・15km。
と、なにやら様子がおかしい、とここでこの日が節分だったことを思い出しました。
なにやら神楽殿の上に鬼の能面をつけた人が二人、その周りにたくさんの人々。すぐに始まりそうだったのでさっさと参拝してまつこと10分。
神事を終えた宮司や氏子代表と思われる人たちが神楽殿のところまできて豆まきが始まりました。



ただ神社で行われる豆まきが見たかっただけなので特にまかれているお菓子(豆よりこっちがメイン)を取りに行こうとはしてなかったんだけど、他の人がはじいたお菓子が飛んできて、そのままぬかるんだ地面に落ちそうだったので、図らずもお菓子GETしてしまいました。


氷川神社はわりとユニークな存在で、関東一円に約220社あるものの、関東以外では北海道に一社あるだけだそうです。こちらでは荒川の守り神として崇められてたんだそうな。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~map/g_map/071214.html

氷川の名は、出雲肥河(斐伊川)の川上に鎮座する杵築大社(出雲大社)からの勧請されたことに由来するんだそうな。その関係か、神紋(家紋みたいなもの)は八雲です。創建は神話の時代(孝昭天皇三年四月中の未の日)と伝えられているそうです。
御祭神は須佐之男命 稻田姫命 大己貴命の三柱です。
須佐之男命 稻田姫命といえば八岐大蛇の話のヒーローとヒロインてことでやっぱ川に関連している。大己貴命は何でなんだろなぁ。国造の拠点だったからかな。

で、この氷川神社がある大宮の大宮とはこの神社のことです。で、昔は相当「大」宮だったんだそうな。
現在の境内地の面積は約3万坪だそうですが、明治時代に16万坪ほど寄付したんだそうな。徳川家康からは15万石の社領を賜ったらしい。
でこの氷川神社には他に氷川女体神社と中山神社というのがあった、中山神社を中心に等間隔に鎮座している。それぞれを男体宮・女体宮・簸王子宮といってあわせて氷川神社なんだそうな。ここまでくるとどういったものなのかや、どういった由来があるのか全然わからん。
さらにこの氷川神社、所沢山口の中氷川神社、奥多摩氷川の奥氷川神社がそれぞれ、本社・中社・奥社の関係で一直線に並んでいるらしい。
なんとも壮大ですわ。

由緒ある神社はこのように配置が考えられて作られているのが多い。年末にいった大神神社もそうだった。
関東を取り仕切ってた人たちと出雲の関係、さらにこの土地の荒川との因縁などなどいろいろと面白いんですわ。さすが武蔵国一ノ宮。
東京にいる限り毎年初詣に行きたいと思います。


なんて神社話で終わってしまった。
結局2時間半かかってしまった。
おかげで最高な状態だった生活リズムがパーだ。
これからはもうちっと早い時間に書き始めるようにしよう。

次はお金の話かリスクの話を書きたいです。
てかずっと前から頭にあって書こうと思ってるんだけど、ずっと書いてない。
プロフィール

udnkui

Author:udnkui
香川県出身。
京大大学院の博士院生。医科歯科卒。jazz好き。神社巡り好き。独学での法律、政治、経済、経営等社会科学の基礎知識と国会議員、外資投資銀行(米・英・欧)、学際系研究室などでのインターン経験があります。
興味事項:社会、科学、自然、芸術
日々精進してます。

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