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考代

今日は明日テストがあることが判明した日。
金曜日やとおもてた。
テスト前ってことで勉強するはずが、テストが中途半端に軽いものなので、ダラダラと無駄な時間の多い日になってしまった。

夕方にふと空いた時間を使って自転車で地域総鎮守巡りをしていたのだが、信号待ちで変な美容室のポスターに気をとられながらぐるぐる回ってる時にでっかいホッチキスの針のようなものを踏んだらしく、後輪がパンクしてしまった。
ついてない。

近くの魚屋さんに自転車屋がないか聞いたけどないとのこと。
今日は地下鉄駅の近くに放置してきたけど、また時間を作ってどこかの自転車屋までもっていかなければならない。またお金がかかる。くそー。


で結局参拝できたのは深川神明宮だけ。
深川の地名の由来となった深川八郎右衛門が祀った神社である。
さすが本物の下町の神社だけあって、鳥居をくぐると左右に各町の神輿庫が並んでいた。
社殿自体はコンクリ作りでなんてことはなかった。賽銭箱の正面がガラス戸になってたのが印象的。本殿は当然ながら神明造りだった。



さて、あと一勉強。


ついでに最近この時間帯に更新することが多いので補足すると、今日明日の境は24時間単位での6時においてます。
要するに朝6時から30時(翌朝6時)までを一日とカウントしてます。
夜型人間にはこの方が都合が良い。
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杉山五十猛

今日の日記。

今日は午前中ちょろっと勉強したあとに神社巡りしてきた。

場所は神奈川県横浜市の港北区と都筑区と緑区の一部。
歩いた距離は13kmほど。
目的地の神社は杉山神社と杉山神社と杉山神社と杉山神社で、いずれも式内社杉山神社の論社。


杉山神社の近くで道を地元の方に聞いたのだけど、杉山神社はあたりにたくさんあるとおっしゃってた。wikipedia先生によると旧都筑群周辺で数十社あるんだと。
別のHPによると鶴見川上流だけで49社、神奈川県神社庁の検索だと横浜市で29社だった。この杉山神社はこのあたりにだけ見られるものだそうだ。埼玉を中心とした地域にしか見られない氷川神社のように、地域独特の理由から崇敬を集めていた神社なのだろう。


その理由とは。


式内社の論社である上記四社のご祭神は五十猛命(いたけるのみこと)が二社、日本武尊が一社、天照大神が一社である。他の杉山神社も含めた全体としては五十猛命と日本武尊が多いようである。日本武尊は関東一円に崇敬の深い神様であるのでわかるが、見慣れない五十猛神とは何者か。
調べると、スサノオの子で樹木をもたらした林業の神であることがわかった。今回は一部はニュータウン内にあったが地形的には四社とも丘陵地帯にあった。往古は林業を生業としていた人々が住んでいたのだろう。
さらにイタケルは新羅に天降った後にスサノオと共に出雲の国に至ったという。今でも島根県太田市に五十猛の地名が残っている。
今回まわったのは武蔵国の式内社としての杉山神社だ。武蔵国は出雲族が氷川神社を拠点に国造りをした土地である。するとこの出雲の地にゆかりのある五十猛命を祀る杉山神社も出雲族が創建し、祀ることを教えたのではないか、ということが予想される。


うむ、通った。
国造りにとってかかせない建築資材である杉を調達するための土地だったんだろう。


で、実際にどうだったか。
杉山神社×4をそれぞれ(新吉田)・(茅ヶ崎)・(中川)・(西八朔)と名づける。それぞれの場所は下記参照。

武蔵国式内社map(青が未達)。神奈川県にある4つが杉山神社×4也。東から(新吉田)・(茅ヶ崎)・(中川)・(西八朔)。地形ボタンで地形も見れます。


(新吉田)付近は自然の残る丘陵地帯であった。大部分は畑であり、その中の一つの丘の上に鎮座していた。見通しも悪く、いつもは目印になる林もいたるところにあったので道に迷って、冒頭に書いたように地元の人に道を聞いた。



杉山神社(新吉田)

山を見たが、杉らしい木は見当たらなかった。
だが、四社のうちで一番好感度が高かった。帰りは裏参道から帰ったのだが、苔むした道に神橋まであって非常に雰囲気があった。



杉山神社・裏参道(新吉田)



(茅ヶ崎)は小さな丘の中腹に鎮座していた。だが、(新吉田)ほどの境内地はなく小さな広場があるだけだった。本殿後ろには杉林があった。



(中川)はニュータウンの中心部に鎮座しており、杜はなかった。



(西八朔)はなだらかに連なる丘の一部に鎮座しており、豊富な杜をたくわえていたが、日の入り後であたりは暗くなっていたので木の種類までは見ることができなかった。唯一鳥居が両部鳥居だったのが印象的。両部鳥居は八王子の大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつの)の論社で見て以来だ。



現時点で生えている杉などは所詮樹齢100年以下のものばかりなので1000年前にどこに本物の式内社たる杉山神社があったのかの根拠になりはしないが、少なくとも現在あるのも過去があるからであり若干の参考になるかもしれない。
とりあえず纏っている空気は(新吉田)と(西八朔)が圧倒的だった。(西八朔)の両部鳥居の由来などを調べることができれば面白いのかもしれない。


別の視点で。
神奈川とは神の住む川という意味からきているとおり、神奈川県は川にそって古社が多いらしい。
そうすると一番川に近かったのは(西八朔)である。もっとも川の流れも時代とともに変わるので調べずにはなんともいえないんだけど。




てな感じで結論はなく終わり。
そういえば(新吉田)に行くついでに実に好奇心をそそられる道を発見し、




この道をすすむと、若雷神社というのがあった。後で調べると式外社だったらしい。得した。若雷というと別雷からきてるんかしら。
とりあえずこの神社は摂社の朱塗りがけばけばしいペンキのような色でゲンナリした。







終わり。
明日は神社じゃない日記書きます。
興味ない人、ほんま日々神社ばっかですんません。これを機に近所の神社に参拝していろいろと調べてみましょう。

婚竹賞

出来事日記です。長くなりそうな日記の話題もあるけど、書くんしんどい。
あとここんとこのタイトルに意味はないです。ストレスは感じておりませぬ。


てことで、日記。

土曜日は金曜に決心した地域総鎮守巡りをしてきました。
とりあえずネットで検索して当たったもののうち中央線より北にあるものを中心に。

まず午前中はお勉強して、東京国立博物館へ。

やってたのは「国宝 薬師寺展」ですよ。
なんでしかもこれは平城遷都1300年記念の展示なんだそうで。

となると彼の顔を思い出します。

写真


今では神社にどっぷりつかってるけど、仏教芸術はすごく好きです。特に仏像。火の鳥やって鳳凰編が一番好き。てことで国立博物館で仏教芸術に関連した展示があるときは毎回きてます。


でどうだったかというと、展示物が結構すくなくて少し欲求不満でした。展示棚を閉じてたり、無駄にスペースとったりしててスカスカでした。1200円の元はとれなかったかな。
とりあえず日光・月光菩薩立像はかっこよかった。


その後各方面にチャリを走らせて、素盞雄神社・尾久八幡神社・赤城神社・穴八幡宮・諏訪神社・皆中稲荷神社・熊野神社を巡りました。途中に東京面通団でうどん食いました。あいかわらずうまー!

細かく調べたわけじゃないから途中いくつもの鎮守様を通りすぎてると思う。わかったら順二巡っていこう。とりあえず千住のあたりから西新宿まで走りました。
赤城神社については過去に行ったことがあるのを忘れていた。自分が経験したことに対しては残らず覚えていると思ってたので少しショック。

で熊野神社あたりになってjazz研の時間になったので引き返しjazz研へ。

とくに何もせず帰宅。


そして今日は東大神社研の新歓イベントの日。
虎ノ門から芝公園までをちょこちょこ巡ってました。俺は愛宕神社から合流。

愛宕神社は愛宕グリーンヒルズの近くにあるのだが、ここにもお話があったりする。

愛宕グリーンヒルズ側には非常に急勾配な石段がある。これを「出世の階段」という。
なぜか。
それは講談の「寛永三馬術」の中に答えがある。
時は江戸時代、増上寺から江戸城に帰る途中に愛宕神社の前を通った徳川家光は愛宕山に咲き誇っていた源平の梅を取って来いと命じた。家来は馬に乗っていたので急な石段に恐れをなして誰も登ろうとしない。
その時に一騎出て登ったのが四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)という人間であった。この出来事により平九郎は家光から「日本一の馬術の名人」と称えられ、日本中に名が知れ渡ったという。

とまぁこの話が元になって出世階段と呼ばれるようになったらしい。
ちなみに丸亀藩は香川県です。

で、これまでにも2・3回登ったことがあるのだが、今日も2回登ることになってしまった。一回は神社研の人たちと合流するため、もう一回は神社研の先輩にやろうぜと言われて。これはもうめちゃくちゃ出世するに違いない。


で今回は前回にも増して人数が多かったです。
全部で20人以上で、中には研修医一年目というM.Dもいて吃驚。

そんなこんなでいろんな人と話しながら増上寺、芝公園の東照宮、丸山古墳と丸山随身稲荷大明神で東京タワーの大展望台にあるタワー大神宮をまわりました。
東京タワーに神社があるん知らんかった。外人さんもいっぱいいたので、参拝する姿はいい記念になったろうと思う。なかなか大展望台の中で二拝二拍手一拝する人もいないだろうから。

その後は中華の食べ放題でした。うまー。


出来事日記終わり。





全然話かわるけど、ここ半年くらいマーケットの様子を見てます。
http://www.dreamvisor.com/paratto_chart.cgi
↑のサイトは一目でどこにどれだけのお金が流れているのかが見れて便利。もっと便利なサイトもあるかもしんないけど。

長期金利がめちゃめちゃ上がってるけど、債券から離れたお金がどこに向かうのか、まだはっきりとは現れてなくてすごく興味があります。
とりあえず月曜日は株価は上がるはず。2ヶ月ぶりに14000円突破ですかね。
で原油は糞上がりすぎ。見始めてからずっと上がりっぱです。800ドル代のころから騒いでて、1000ドル超えた時にはめちゃめちゃ騒いでて、今はあまり報道もされない。30円上がる報道もいいけど、そもそもなぜ数年前から1・5倍の水準になってるかも報道せにゃいかんでしょうと思う。
このへんについてはまた改めて書きます。


聖火リレー。
中国のオリンピックの聖火リレーで中国人の留学生が中国の国旗持って応援。ランナーはその国の人かもしんないけど、正直いってなんのために走ってんのかわかんないね。


今日は終わり。
月曜は学校かと思いきや、なぜか臨時休講なのです。4連休。
4連休は嬉しいんだけど、歯学部ってほんまやることないんだなぁと思ってしまう今日このごろ。

写真

金築上

月曜日は臨時休講で四連休♪

今日は少しの開放感を味わうため学校終わってから少しばかりぶらぶらしました。
まずはつつじまつりを鑑賞しに根津神社へ。
つつじは確かにきれいだったのだけど、まだ七分咲きというところか。
涼しい日がつづいているからだと思うけど、満開まではあと少しだな。

その後は谷中のお寺群の中から谷中霊園を通りうろちょろしながら北へ。
ふと目の前に杜があったので近づくと案の定鳥居が見えてきた。
神社の名前は諏方神社(すわじんじゃ)漢字は違うが諏訪大社の分社らしく、諏訪大社と同じ建御名方命(たけみなかたのみこと)を祀る。 
江戸時代には谷中・日暮里の総鎮守だったそうな。

この神社遠くからでもわかった通り、なかなか社叢がしっかりしていてとても居心地のいい神社だった。神社は高台の上にあり東隣はJRが走っていてなかなか見晴らしもよかった。



(諏方神社 境内)

この神社の倉庫らしき建物の前にあった狛犬には彩色がされてあったんだけど、目が真ん丸な上に口から微妙にたれてて実に変だった。鼻の穴まで塗るかよ。



(諏方神社 狛犬)

後で神社を去るときに西にある鳥居を見ると扁額に「谷中・新堀総鎮守」とあった。現在の地名だと日暮里だが、昔は新堀だったということか。

ということで調べてみると、ここはかつて新堀という地名であると同時に墨田川や筑波山までみえる景勝地であり、日が暮れるまでいても飽きない「日ぐらしの里」と呼ばれたことから、「日暮里」となったのだそうだ。しかもこの神社の宮司は「日暮」という苗字らしい。
この神社がそうなのかどうかはわからないが、世襲制の神社などは宮司の苗字が神社の由緒に関連していることが多く、面白い。


その後千駄木付近をぶらぶらしてたら住宅地の中に神社を発見したのでそこを参拝して、またぶらぶらしながら家まで帰ってきた。


諏方神社を参拝して、地域の総鎮守を巡るのもいいなと思い始めた。手軽やし、チャリやから金がかからん。
区のHPなどでも割と情報が整備されているのでちょこちょこまわろうかと思う。



最近機種変したのだが、どうもきれいに写真がとれない。一応カメラ機能は落とさなかったんだが。
きれいに写真がとれないのはちょっと悩みどころやわ。




ところで全然話変わるけど、下の写真の詳細を知ってるひとがいたら教えてください。
拾いもんだけど、超気になる。
気になりすぎる。

今竹生

書くことは決めていない。


今日は新入生らとライブ観賞。
初西荻窪。焼き鳥屋が並んでてとてもうまそうだった、焼き鳥が。

ライブはヴァイオリン・ギター・パーカッションのトリオで、jazz研顧問が好きな人らの。
激しい感じでした。新入生は終わった後すごい連発してた。

確かにすごかったけど、寝てしまったなんてとても言えない。




今日は特に勉強する気もおきなかったので手塚治虫の「ブッダ」を読み返していた。
この本に出会ったのは小学校5年の頃。俺に影響を与えた本の一つ。
手塚治虫はほんまにすごい。火の鳥も時々読み返しているのだけど、神道の知識や古代史の知識を得た今読んでも、その面白さは何の陰りもない。そればかりか、独自に解釈した古代日本の姿を見事に描き出していることがわかり、逆に感服してしまう。


もうちょっと書きたかったけど眠くなってきたので終わり。
書くための日記でした。

ただ一つのtrauma

今日は新歓ライブでした。
大入り満員。部員は立ち見状態。

今年はどの部活も盛況なようで。

とりあえずお客さんは入りまくったんやけど、おれ自身はかなーり中途半端な出来でした。練習の時は自由に動いた手も本番ではそこまで動かなかったり、いつもならイメージをもって叩いてるのに今回は頭空っぽのまま叩いてたり。
練習はせないかんわ、ほんま。

でも、まぁ楽しめたっちゃあ楽しめたからいいや。
とりあえず自分のバンドをはじめて作ってやったということで少し満足。



俺の場合、技術は今の自分が持っているもの以上のものはあんま求めてないから、練習では曲のイメージを作ってます。これは吹奏楽時代からずっとそう。
イメージが湧かなければ思うように手は動かないが、一度湧けば自分の能力の範囲内という制限はつくがイメージに合わせた表現で割りと自由に叩ける。
だからバンド練でもそれにむけて練習するわけではなく、バンド練の中でイメージをつかむようにしてるので、練習はじめなどはバンドメンバーに多大な迷惑をかけている。そこで入念な準備をしてきたメンバーがいたらもうどうしようもない。実際怒られたことも何度かあったが、性分というか俺の音楽のやり方なので変えるつもりはあまりない。




吹奏楽の頃からそうだ、と書いたが、俺の打楽器の技術や考え方の基礎はティンパニ(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%8B)とともに形作られたものだ。ということでこの考えの成立を俺の唯一つのトラウマを絡めて過去話でも書こうかと。

注:個人の話でかつ糞長です。読んで得することは何一つない。



中学の頃、ささいなことで当初考えていた部活をやめてその15分後に吹奏楽部の門を叩いた。その一週間後にはティンパニという楽器に惚れて志望していた。半年後には実際に叩いていた。そして卒業するまで光洋中学校のティンパニは俺の楽器だったようなもんだ。

ティンパニのどこに惚れたか。
まず音。そして役割。
ティンパニはマレットでヘッド(皮)上を滑らせるだけの小さな音からケトル(胴体部分)の底まで音を響かせる大きな音まで非常に幅広い音量があり、また、器械によってペダルを踏むだけで音の高低も変えることができるので非常に豊かな表現力をもっている。それゆえ、オーケストラの中においては他の打楽器とは違って一つのパートとして扱われることも多い。
それだけ打楽器の中でも扱いこなすのは難しい楽器だと思う。まず大きな打面と大きな胴体を響かせなければならない。バスドラ(大太鼓)のように単純に叩くことはできない。また、大抵4つのティンパニを使うことが多いから手の動きなども訓練しなければならない。表現を行うには硬い音や柔らかい音を音量を変えずに出さなければいけないし、ロール(連打で連続した音を表現すること)を効果的に行うには複数のことを同時にしなければいけない。
俺は打楽器は鍵盤楽器以外ならどの楽器も心底好きだけど、後輩には「ティンパニは打楽器の王様」なんて言ってた。

練習はこの上なくしたので気づけば誰よりもうまくなっていた。ティンパニがあれば人の心は動かせる。ロール一つで人に鳥肌をたたせるなんて朝飯前てな感じで。実際評価も高かった。音楽科の先生にスカウトされたこともあった。

ティンパニで楽団を操る快感はこの上ないものだ。自分の思い通りに全体を盛り上がらせ、奏でた音が自分の思い通りの風景が作る。
二日たっても叩けない楽譜など皆無だったし、自分が思い描けばその通りの音が出ていた。同時に他の打楽器でも同じ事ができた。



つまりこの頃はイメージを作ることが最も重要な仕事だった。



そして高校に入り、始めからティンパニを任されこのままティンパニ三昧かと思われた。
が、高一の秋に友達からjazzに誘われてドラムを始めることになる。
正直jazzなどイメージが湧かず、付き合いみたいなもので始めたのだが、ここで発見をしてしまった。

自由に演奏ができる。

これまで技術がありつつも楽譜に縛られていた当時の自分は、St.Thomasのコピー譜にあったフリーのドラムソロを譜面を無視して叩くことを覚え、その自由に快感を覚えた。(参考:http://mixi.jp/view_diary.pl?id=68280597&owner_id=271459

それ以降、自由時間があればドラムを叩くようになった。


ティンパニに関してはどうだったかというと、ゆっくりと下り坂を降りていた。
始めに指摘されたのはその年の冬。
アンサンブルコンテスト(少人数演奏。俺は打楽器だけ)に向けてティンパニを叩いていたのだが、練習を見に来てくれていた打楽器の先生が世話役のOBに「彼はドラムに浮気でもしたのか」と聞いてきたらしい。なんでも俺が中学校でティンパニを叩いていたのを知っていたが、今日来てみて下手になっていたので残念だ、という風なことを言ったらしい。

少し間があくが、これを自覚したのは次の年の冬のアンサンブルコンテスト。
おかしい、自分が思っているように手が動かない。強い音を出すと音が割れる。
アンサンブルコンテスト自体の結果は非常に良かったが、自分のティンパニの腕がはっきりと落ちていることに気付いた。



そして高校生活で最後の大舞台の定期演奏会。
部長として演奏会自体の企画から実際に作ることまであれこれと仕事をしながら、候補曲に一つの曲を出した。

伊藤 康英作曲『吹奏楽のための抒情的「祭」』

この曲は一番最後の早くて派手なティンパニの旋律でクライマックスを迎えて終わる。中学の時からチェックしていた曲だ。
この曲は現役生が主役となって演奏する一部最後の曲として定演の演奏曲に選ばれた。



指揮者は同じ代の現役生。俺がティンパニにプライドをもっていて、かつこの曲の最後はティンパニが最高に輝く曲だということを知っている。そしてそれらが一つの結果になるように曲を作った。


本番当日。
自分が中心となって作ってきた演奏会。準備の際には隅から隅まで目を通し、演奏会全体のイメージを作って臨んでいた。友人も多く見に来ていた。
俺の頭の中は「お前ら俺のティンパニ見とけよ」といった感じ。
終演後に「すごかった」と言われることを想像していた。


そして本番。
幕が開き、一曲目、二曲目と進む。

そして四曲目。
日本的な祭りのリズムが随所に散りばめられ、力強い曲だ。
曲が終わりに近づくにつれ、緊張が高まる。だが、これはいつものことでこの本番の中の緊張の中でこそ最高のパフォーマンスが出せる。

いよいよ出番が近づく。
そして、叩きだそうとした次の瞬間


カツッ・・・


マレットを振り上げる時にマレットがティンパニのリム(縁の部分)にあたって左手から落としてしまった。
あせると同時にどうしようも無いことが一瞬のうちに頭の中で理解される。そのまま大きな穴があいたクライマックスを聞き、第一部が終わった。

その一部-二部間の休憩の時の心境は筆舌に尽くしがたい。
後で友達に聞いた話によると誰も近寄れないオーラを出していたらしい。
そりゃそうだ。一番プライドを持っていたティンパニの腕を1000人以上の観客の前で披露する機会を持ちながら、ささいな自分のミスで目の前で通り過ぎるのを待つことになってしまった。




これが俺の唯一つのトラウマ。
ある程度理性と必要をもって二部以降は正常にもどることができたが、頭の底ではそのことが重くのしかかっていた。
定演後にビデオなどができあがっても、とても恐ろしくて見れなかった。見ることを考えるだけで嫌だったし、その話題に近寄りたくも無かった。


今では普通だけど、正直ビデオを見るのは怖い。
実は日曜にあった後輩の演奏会でもこの曲をやっていて、見たらどうなるかと少しドキドキしてたんだけど、能の予定がかぶっていてその曲を聴くことはなかった。





後半は関係ないけど結論は、俺の中でjazzは開放であり、自由なものなんですわ。曲を作ることは自分の中でイメージすることと割と同じ意味だった。これを準備と訓練に変えることはなかなか難しい。
当然自分のイメージ通りにも叩けないこともちょくちょくあるからその時は練習するけど。

こういった背景をもつ人はあんまりいないし、drum自体もまったくの独学だから、jazz drumを教えるというのは実に苦手だ。
何しろ自由だから教えるものが無いということになってしまう。





もうちょっと周りに合わせた方がええんかなぁ~、などと考える今日この頃。
世の中を自分の中の当たり前に変えるのなんて不可能だ。
自分の中の当たり前を世の中に変えるのはどうだろう、云々。
その気もないのに書くのはやめようと思う。


またこんな時間だ。
はよ寝よ。

NO

今日は「能」を見に行ってきました。
場所は神楽坂の矢来能楽堂というところ。


見たのは能「海人」と狂言「悪坊」でした。
目的はこの「海人」。午前中にjazz研の練習があったから少し遅刻したけど無事に見ることが出来ました。


「海人」は五番目物とよばれる演目の一つで、香川県に関係したお話です。
概要についてはwikipedia先生が詳しい。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E4%BA%BA_%28%E8%83%BD%29

簡単にあらすじ

藤原房前は母が讃州房崎の浦の海人であると知り、十三回忌のために房崎の浦を訪れる。そこに現れた一人の海人は、13年前藤原不比等が竜宮にとられた宝物「面向不背の珠(めんこうふはいのたま)」をとりかえしに来た際に一人の海人と結ばれ、その海人は子を世継ぎにすることを条件に自らを犠牲にして宝物を取り返した、という話をした。房前は自らがその子であるというと、その海人は自分こそその海人の幽霊であると打ち明ける。その後房前は自らに手紙を託して消えた母のために管弦講で弔うと、その御経の功力により竜女となった海人があらわれ、法華経の徳をたたえ舞うのだった。

終わり


藤原不比等とは中臣(藤原)鎌足の息子で、房前は不比等の次男。房前は藤原北家の始祖で政治能力に優れ太政大臣になった人物、藤原北家は後に摂関家を生み出すほどに栄えた一族です。

この海人が現れた場所は香川県さぬき市志度にある志度寺であり、海沿いには「房前」というJRの駅があります。

そして、ここでも竜宮がでてくるんです。
そして宝珠があったのは三十丈の宝塔の頂で、その周りは八大竜王や悪魚、鰐がいたという。とうぜんこの鰐は現在の鰐ではなく和邇につながる方を意味しているものと思われます。



とまぁ背景説明はここまでにして。
能を見るのは今回が初めてでした。
案外多くの人が舞台にあがってるもんなんですね。
能もいろいろと調べると非常に興味をそそられるんだけど、生で見ると何言ってるのはわからなかったり、どこをどういう風に見たらいいのかわかんなくてそこまで楽しめなかった。あらすじはわかってたのでだいたいの進行はわかったけど、正直ただ見たという満足感を得るために見てしまった感じ。もうちょっと精進がひつようなようです。

と、能の方はこんな感じだったけど、狂言はもっとわかりやすく、あらすじを知らなかったにも関わらず内容も理解できて楽しかった。
今後も機会があれば勉強して行ってみたいです。


今回の能は金春流という流派が主役を務める能だったんだけど、この金春流宗家は秦河勝を遠祖として現在の宗家金春安明は80代なんだとか。
この秦氏に関しては神社に関連してよもやま話があるんだけど、話がそれるのと勉強不足なのでまたこんど。




狂言を見た後、公演自体は続いてたんだけど高校の後輩が所属する楽団が定期演奏会をしているので練馬に移動。残念ながら3部しか聞けんかった。残念。



土曜日は午前中はjazz研練、午後は東大神社研で、夜はまたjazz研でした。
東大神社研に関しては新歓イベントだったんだけど、俺以外に10人以上新入部員が集まっててびっくりした。新入部員の中では、はまり度と知識量、参拝量で俺はダントツだったんだけど、既存部員の中にはさすがに猛者もいてちょっとだけこれからに期待。
さすがに國學院大學神道学専攻の博士課程院生とまでなるととても勝てませんわ。でもなかなか楽しく話しできた。




また元にもどってしまうんだけど、能についていろいろと調べてたらこんなの(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080420-00000006-oric-ent)があった。
改めてこの人について調べてみるとめちゃめちゃやね。
元凶は母親にあるようにしか思えない。でも父親も相当な人間だったようで、どっちにしろ問題のある人間になってたのかもしれない。当然この母親がついてから父親がいらんことしいになった可能性もあるかもしれない。400年続く宗家が一人の女性のために途絶えるとなるとえらいことですわ。(この人の父親が死んでから正式に宗家を継いだ人はいない)



もう朝です。
二段階睡眠にも慣れてしまいました。

磯礒イソ

忙しい。
ライブ前になるといつもこんな感じですわ。なんであさーい日記になります。


てことで来週の火曜日(22日)の19:00から5号館2階の3ゼミ室というところでライブがあります。
ただし狭いのでjazz研関係者以外見に来ないでください。
なんていう贅沢がことが言えるくらい新入生が見学にきまくってます。
drum志望者も2・3人くらい入りそう。



そういえば今年度もPBI教室コロキウムが始まりました。
初回は木村教授の経歴とそれぞれ転換点でどういったことを考えていたかという講義(?)と日本ヤバイという話。


特に俺には印象に残ったんだけど、ゆとり教育はまじでヤバそう。
高校の恩師も教授も言っていたが、知識が圧倒的に少ないのが一つと、もう一つ積極性が見られないんだそうな。意欲が無くなってると。
おとなしいん。
この原因をすぐにゆとり教育と結びつけるのは早計だろうけど、高校の恩師は「ガクンと落ちた」といっていたから何らかの関係はあるのだろう。

俺は毎年高校の定期演奏会を見に行ってるんだけど、最近は男子がえらくおとなしいなという印象をもってた。女子はまだ元気。


俺のずっと前から「多様性は活力の源」という考えを持ってるんだけど、逆も考えられるんじゃなかろうか。「活力は多様性の源」也。
多様性が生まれなければ、なかなか新しいものは生まれないし、その結果変化にも対応できない。なかなかヤバそう。
自分達で何かできるんだろうか。
20年後・30年後は自分達の世代が主役だから社会の一員として考え行動する責任があろうかと思う。



あ、そういえば東大の神社・神道研究会というところに入るみたいです。
昨日deepな会合に初めて顔出してきました。アポ無しで。
まだどんな組織かつかめてないんだけど、真っ当に研究会してるようだったら当分そこで神社神道研究に勤しみたいと思います。



雨嫌やわ。
~やわってどの地方までなら使うんやろか。

どーじ

みんなの人気者、平城遷都1300年祭マスコットです。
名称が決まるのが待ち遠しい。

ここ一ヶ月くらいいろいろと世間を騒がせているようだけど、別に嫌悪感とかはわかないんよね。むしろ世間に強烈な印象を残している点でマスコットの機能の一つである広告の点では卓越したものをもってるといえる。

なんだろう、頭の角のとってつけた感・表情の微妙さ・投げ出された右手の3点になんともいえない不思議な感覚を覚える。


いろいろとこれについてネットを徘徊してみたんだけど、おもしろかったのは2ch発の代替案だった。

一番しっくりきたのが↓




これはイケる!
何がかはわからんけど。


あと↓みたいなんもあった。




角を使ったスペシャル攻撃があるに違いない。



さて、この絵の作者の籔内佐斗司という人のHP(http://www.uwamuki.com/j/indexJ.html)を見ると彫刻しか作ってない人なんやね。でその作品をみると素材の元の姿実に新しく個性的な作品ばかりでかなり好感をもった。芸術家だなぁ。

同じサイト内に籔内さんにおくられた批判メールとその返事の一部が掲載されてるんだけどだいたい籔内さんが正論だと思うんよな。
要約すると以下の2点だったと思う。

批判1:きもい
反論:知るか。選んだ奴に言え。

批判2:仏様に角生やすな
反論:童子や。これまで習合していろんな仏様いたんやからうるさいこと言うな。

批判1は当然。日銀副総裁人事で候補者に電話したり、白い巨塔の教授選で候補者に降りるよう説得しにいくようなもんだ。筋違い。
批判2に対しても同感なんよね。なぜならば宗教家を除いて日本の文化に宗教原理主義はほとんどなかったから。
仏教家から見てOKと言えばAll OKなんだろうけど、実際は仏教家が言うよりも多様な仏様がいたのではと思う。そもそも日本の仏教は原始仏教や小乗仏教からみたら異端中の異端なわけやし。原理主義を貫けば托鉢して、肉食・妻帯などは禁止なわけですわ。
今回の場合、生粋の宗教家から見てイベントのマスコットが不満であっても、日本の場合、総体としてはその不満の割合は薄められ、製作者の配慮のレベルも落としていいだろうという考え。
もっと突っ込んで言えば奈良県のイベントのマスコットなわけで、主催者が駄目といってなかったらOKなわけです。

あとコストとリターンの考え方でいえば決定する前ならともかく今となっては変更コストが高くつくわけです。そのリターンは一部仏教家とマスコットに嫌悪感を抱く人たちの満足。実際に大きな話題となったけど全体としては良しとする意見が多いらしく、変更する必要性はないとなる。当然決定プロセスが開示されてなかった批判はあるかもしれないけどその対象は奈良県だろね。



てな感じで考えてると今回のマスコットにだんだん愛着がわいてしまったりしてきたわけです。おそろしや。

あと今日のYahooニュースで知ったんだが、過去にも奈良県は仏様を題材にしたマスコットを作ってたようで。

以下参考
http://blogs.yahoo.co.jp/kabulaya/53905622.html
強烈。思わずワロてしもたわ。



さて、2回目ですが寝ます。

Art of Technology

すっきりしました。
排水溝が。

前々から浴室の排水溝が若干つまってて、特に最近は一度風呂に入ると浴室全体が洪水になる状態だったのが解消しました。
お湯を少し流してからパイプユニッシュを一本分つぎこんで一時間放置。

パイプユニッシュに感動してググってみたんだけど、開発したのはユニチャーム(四国の会社)でイギリスのジョンソンつー会社に譲渡したもんらしい。このジョンソンつー会社はカビキラーとかを開発・販売してる会社。

パイプユニッシュを使う前に別のパイプ洗浄剤を使って全然だめで、その後スーパーで物理的にパイプを掃除するワイヤーブラシっぽいのを買ったんだけどつまってるのは排水トラップだったらしく収穫なしっていう経過だったのですっきりしてよかったです。


こういう単純な洗浄剤などのコアの価値は、おそらく技術というのもおこがましいくらい基礎的な化学物質の性質を利用したものだろう。
しかし、その化学物質がひろく社会に普及しただの大学生がその便益を享受できるのは製品を開発した企業や販売している企業のおかげだ。水酸化ナトリウムや次亜塩素酸単体で買う人なんていない。
単純な化学物質に、ごく些細な操作であるパッケージという顔をつけることで、巨大な付加価値を生み出しているんだからこれこそイノベーションといえるだろう。



技術がある、ということと、その技術を使えるということは同値ではない。もっといえば大きな隔たりがある。
例えば半年ほど前に阪大と東京理科大のチームが歯の再生に成功したニュースがあったが、これが実際に使えるようになるには10年やそこらではきかない時間がかかるだろう。あらゆる技術にいえることだと思う。
最近では、ただ知的な欲求や流行りで研究を行っていた大学でもTR(Translational Research)やTLO(Technology Licensing Organization・技術移転機関)というキーワードと共に実際に社会に価値を提供するため取り組みを行っている。
おそらく今はまだ土台作りの段階で、必用な資金も圧倒的に不足しているし、社会の認知度も低いけど、今後大きく成長するだろうししてもらわなければならない分野だと思う。


元来日本の産業というのはこの商品化というのが苦手なようで。
すぐに思いついたのが携帯電話と航空機。携帯電話の世界市場で日本の企業はまったくもって太刀打ちできてない状況だというのは有名な話。しかし、携帯電話の部品の65%ほどはmade in japanだという。航空機についてはボーイングとエアバスが寡占状態にあるが、東大院の航空宇宙工学専攻の友人によるとそれらの航空機の主要部分は大体三菱重工などの日本のメーカーが作ってるんだとか。ものづくりが日本の産業を支えてきたという事実を如実に表しているんだろう。

しかし、なぜものづくりの先の商品化の部分で遅れをとってしまうんだろうか。技術はもっているのに、それを自分達でアレンジして付加価値を増加させることができないのはもったいない。appleなんかはコンセプトだけでえらい付加価値を生み出してるそうな。
実直な職人魂を発揮して自己研鑽するのは得意だが、他人とコミュニケートして関係を築くのが苦手ということだろうか。理系と文系という二元論的な考え方が支配的でお互いに協調関係を築けなかったというのが原因かもしれない。もともと商売には興味なかったか、見下されてたのも影響しているかもしれない。経済学も経営学の最先端の学問はほとんど外国産のものだ。


などなど考えると、日本という社会に必要とされる仕事というものの仮説が立てられる。教育の時点でもっと開かれたなmindを育むことも必要だろうし、10万人いる博士もより幅広く社会に配分されることによってより大きな価値を生み出すことも出来るだろうとおもう。当然TLOなどの枠組みも必用。

現在の自分達の世代というのはすごく大きな選択の自由があると思う。
今生まれた基礎研究を10年20年たって実が熟したころに収穫することも可能だし、収穫した実を加工したりパッケージングしたりして世に送り出す仕事も増えているだろう。俺みたいに少し違う仕事をしたいと思ってる人間も少しずつ世に認められるようになるだろう。





ついでに技術に絡めて少し違う話も。
純粋にすげーと思った。
http://www.healthjockey.com/2007/11/26/phillips-brilliance-ict-scanner-offers-3d-images-of-human-body/
オランダのphillips社が開発したCTの映像。
感銘をうけたのでHPで他のも探してきた。
http://www.medical.philips.com/main/products/ct/products/brilliance/40_slice/image_gallery/
http://www.medical.philips.com/main/products/ct/products/brilliance/16_power/image_gallery/

最新機でなくともすごい。これなんか見るとほんと技術の進歩はすごいなと思う。

同時に気になることもある。PBI教室の木村教授も指摘してたけど、こういった検査機器や医薬品の進歩によって医者が作るはずの付加価値の割合というのは減ってきているということ。
要するに医者は診療するのに昔ほどの苦労は必要としていないということ。医療の単価は時代を経るごとに増加していくが、医者の取り分も増加するとは限らない。患者の病気が治る代わりに支払われる対価の増加分はその多くは新たな付加価値を生み出したこういった企業に支払われ、価値付加的な仕事が減った医者の取り分は減るはずだということだ。
つまり医者はいつまでもprofessionという専門職ではなく、より一般化された技術と知識で仕事ができる職業に変わっていってるはずで、それに伴って長期的に見れば給料は下がっていくはずだということ。
日本の医療は皆保険制度によってごく少数の人間があたまでっかちに決めてるものだからこの通りに変化しないかもしれない。つまり、本質的な価値と実際に支払われる対価との間のギャップが大きくなり、将来なんらかの問題となって現れるかもしれない。
もっとも財政をはじめとした他の問題の方が大きすぎて全く影響が現れないかもしれないけど。

歯科に関しては近年目立った技術革新があまりないので全く別の考察をしているから、それはまた気が向いたら書こうかと思う。





未来はわかんないね。
うまいこと生きていきたいです。

作業

google map便利です。

武蔵国(東京都と埼玉県と神奈川県の一部)の延喜式内社のうち東京都内の神社は全て参拝したので神社mapに埼玉県と神奈川県の神社を追加してました。これは10世紀頃の有力な神社の分布と言い換えることもできます。

完成品
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=103357990143477012256.000446cbf071cf6a6f38b&ll=35.862344,139.408264&spn=0.990507,1.837463&z=9

こりゃあかん。埼玉でも北と西に偏ってるわ。

讃岐国版
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=103357990143477012256.000448f848b7e9a8f21c5&ll=34.284453,133.975525&spn=0.50493,0.918732&z=10

交通費がめちゃくそかかりそう。卒業までに全て参拝することを目標にしたいと思います。



ちなみに全国一ノ宮mapなんてのも作ってます。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=103357990143477012256.000446cc91541c8aa4eb5&ll=34.669359,134.472656&spn=31.928211,58.798828&z=4
これは死ぬまでに全て参拝するのが目標。


春休みの京都旅行map
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=103357990143477012256.00044942bef7c4e51a398&ll=34.965029,135.786896&spn=0.125202,0.229683&z=12
レンタサイクル借りて6時間半でチャリ行程だけで62km走りました。実際には伏見稲荷大社で稲荷山登ったり、下鴨神社の糺の杜歩いたりしてるからもっと動いてる。

アルバム作ってるんで興味ある人は見てくださいな。
要領の関係であんまりupしてないけど。


てか、そろそろ神社に興味でてきたって人いない?




最近余分なものを落とし中です。

まずお肉。
春休みにずいぶんお金を使った上に、今後mp3プレーヤーや携帯を買いかえることを考えるとそろそろ貯金が底をつきそうなんで食費の節約がてらお肉おとしてます。

次に時間。
頭を働かせたい病。最近は時間が余ってテレビつけてもWBSとかカンブリア宮殿・ガイアの夜明けみたいな番組以外は時間の無駄どころか邪魔としか思えなくないし、漫画などを読んでるとむなしくなってしまいます。時間があったら何かに頭を使いたくなる。そういう時は読書するかblog呼んでます。学校でも授業の合間にはなるべく勉強するようにしてます。


一応理系大学生なはずなのに高校レベルの数学しか使えないことに若干のコンプレックスを感じてるんで数学の勉強を始めました。これまではもっぱら社会科学系の勉強ばっかだんたんで慣れをもどすまでは大変そう。全然すすまん。
本当は英語の勉強の方が優先順位高い気がするけど逃げてる。つい先日タイの学生とまともに会話できなくて凹んだとこなのに。

少し頭の中を論理的思考に強い筋肉質なものに変えていきたい。

とりとめないな。
終わり。

無理やり日記

日記を書く癖を戻したいのでとりあえず書き始めることにする。
2日連続で日記を書いたのは去年の7月27日28日以来だ。


とりあえずyoutubeでdrumネタを2つほど。

Dave Weckl, Vinnie Colaiuta, Steve Gaddのドラム神達によるdrumバトル。眼鏡がColaiuta、真ん中がGadd、もう一人がWecklです。Weckl→Colaiuta→Gaddと続くのソロの後から怒涛の4barsが始まります。多分これを生で見てたら30年は余韻に浸れると思う。
これはBuddy Richというjazz drum教の教祖様のメモリアルコンサートの映像です。世界のトップドラマー達がちょっとづつ出てます。持ってるんで貸して欲しい人がいたら言って下さいな。



どっかの人たちによるSpain。これくらいcoolにできたらどんなにいいか。




テスト



今日の主要なニュースといえば日銀総裁人事と党首討論だと思う。

まったくもってくだらない議論なわけです。
民主党が反対する理由は候補者が財務省出身者であるからというもの。
なぜ財務省出身者がだめかという理由でこれまで目にしたのは以下の2点。
・財務省が既得権益としてポストをもっているのが駄目である。
・財務省出身者が日銀内部から財務省に過剰に配慮してしまう可能性がある。


前者について。
この主張に対する論点は2つ、そもそもこれは既得権益であろうか、もし既得権益だとしてそれは駄目なのだろうか。本質的には既得権益だろうが何だろうがどうでもよくて最終的に悪、もしくは悪になるリスクが高い、なんてことがなければいいわけです。その悪の部分に関連するのが後者の主張だと思う。要するに、形式的な肩書きだけで人を差別する場合を除き、この主張だけでは何も議論できん。
いわゆる「天下り」が駄目なのは公的な立場や権力を利用して、退職後の職を得るからであり、今回のように実績も名声も得ているような人達が能力を買われて再就職することに駄目な点はないと考える。

後者について。
実際に配慮してしまうんなら問題だろう。現在の政府の累積債務や赤字体質の原因がどこにあったのか、という視点で見るなら有意義な議論になろうかと思う。日銀幹部の財務省出身者がおしなべて政府に過剰な配慮をし、影響力を行使していたのなら即刻日銀から排除すべきだと思う。
ただ、財務省が日銀に影響力を持つよりも政治家が日銀に影響力を持つ方がリスクが大きい。
政治家は財務省の官僚と違って自らの政治力を維持するために予算を増大させようとするインセンティブを持っている。さらに議院内閣制により内閣は議員を中心に構成される。これに日銀への影響力が加わるとしたら国債の乱発によるインフレのリスクが増大しそうだ。それが民主党ならなおさら。実際に民主党の山岡国対委員長が圧力をかけたという疑いがかかっている。本当ならば民主党の信頼はガタ落ちだろう。
つまり、国会同意人事とはこういった時に使うことを予想して作られたのではなく、もっと危機的な状況で政府が暴走しそうな時のための担保として作られたものなのではないかと思う。その意味で福田総理の「権力の濫用だ」との言葉には共感できてしまった。

そもそも、財務省出身者が新たな組織に移っても配慮してしまうのなら小沢党首は元自民党なんで民主党の党首なんぞやってられんはず。



と、こんなことを書いても、元々政局で反対しているだけなんだからなんとも無駄なことをしたなぁという気がする。反対の理由を明確に述べて、まさに総裁・副総裁にふさわしいと思える人の対案を立てていれば、民主党の評価は急上昇したろうに。相変わらず、というのが感想です。
でも今回採決の際に反対・棄権した民主党議員の中に桜井議員の名前があって、ホッとした。真摯に国のことを考えている人だと思ってたので。



たらたら書いたけど正しいかどうかは知らない。
とりあえず思いのほか適度な分量になったからこれでおしまい。

和邇と龍神 続き

学校始まりました。
なんかjazz研の新歓が順調です。

さて、この日記は続き日記なのでさっそく。

前回の日記。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=768496596&owner_id=271459

要約:香川県にある金刀比羅宮。ご祭神こそ違うものその名の由来はインドのワニ(鰐)が神格化したクンビーラ神である。一方日本神話にもワニ(和邇)にまつわる話がある。香川にはそのうちの一つである「山幸彦と海幸彦」の話にまつわる土地や神社がある。その中で龍宮城があるとされたのが大槌島と小槌島の間の槌ノ戸である。

http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=103357990143477012256.000448f848b7e9a8f21c5&ll=34.284161,133.975959&spn=0.50493,0.915985&z=10(香川県の地図・延喜式内社の場所と日記用目印付)



(手前:小槌島、奥:大槌島、間が槌ノ戸と呼ばれる海、ちなみにこのあたりは四国島と本州島が最も接近している場所であり、奥に見えているのは本州である。)


槌ノ戸にもう一つ伝説があるというところで終わった。

その伝説とは「讃留霊王(さるれお)伝説」というものである。

超簡単なあらすじ
景行天皇の頃、土佐の海な悪魚が現れて悪さをしていた。景行天皇にその退治を命じられた神櫛王は讃岐の槌ノ戸の付近に移っていた悪魚を追って讃岐に入り櫛梨山に拠点を作る。その後80人余りを船に乗せ悪魚に挑むが、船もろとも飲まれてしまう。体内で兵が毒気におかされるなか王は火をつけることを思いつき悪魚を倒すことに成功する。毒気にあてられた兵は白峰のあたりから雲にのって表れた横潮大明神という神に水を与えられ蘇った。よってその清水は八十場(八十蘇)の清水と呼ばれるようになった。景行天皇に功を認められた王は讃岐国造に任命され125歳まで生きた。

八十場をはじめこの伝説にまつわる地名は今もいくつか残っている。さらに神櫛王が拠点を作ったといわれる場所には讃岐国延喜式内名神大社(県内3社)の城山神社があり神櫛王を祀っている。
ちなみにこの主人公の神櫛王はヤマトタケルの弟であり、香川の西のほうでは武殻王(タケカイコオウ・ヤマトタケルの子)となっているようだ。ちなみに高松市と合併した旧牟礼町に王墓という地名があり、そこに宮内庁所管の神櫛王墓がある。


とまぁ、こんな感じだが、探したら他にも槌ノ戸にまつわる話があった。

「経沈め」
保元の乱で讃岐に配流となった崇徳上皇は厳しい軟禁状態の中で一心に五部大乗経を写経した。戦死者の供養と反省のために京の寺におさめてほしいと朝廷に送ったが、後白河法皇により呪詛がこめられているとされ、送り返された。これに上皇は発狂せんばかり怒り、舌先を噛み切って誓言を小指を噛み切って血書をされ、槌の門(槌ノ戸)に沈められた。すると海上で火が燃え童子が舞い、竜神が現れて受け取ったという。その後京では大火事・反乱・飢饉が起こり、崇徳上皇の祟りとされた。

「了応和尚の雨乞い」
ある年讃岐は飲み水にも困る大旱ばつにおそわれた。高松藩主は城下の法泉寺了応和尚に雨乞いをするように命じた。了応和尚は翌朝藩主に頼み16人の腕達者の舟子と大鯨船で槌ノ戸に連れて行ってもらう。そこで和尚は何かを海に投げ込んだ。和尚は舟子に雨が降らないうちに早く帰ってくれとせかすが、舟子たちは雲ひとつない青空なので急ごうとしない。そのうち白峰山のあたりから黒雲がたちあっという間に大雨になり和尚たちはずぶ濡れになってしまった。後で聞くと和尚は龍神様にあてて手紙を書いたのだという。



実に古代から中世にいたるまでこの槌の戸は龍宮がある神域とされてきたということがわかる。この当たりは四国島と本州島が最も接近している地域であり、海流が早く、鯛や鰆の良い漁場であったというからいろいろと話が生まれるのだろう。



次に注目するのはこの竜神である。
実は讃岐国一ノ宮で延喜式内名神大社でもある田村神社にも竜神伝説がある。
田村神社は拝殿と本殿という通常の神社の構造物に加え、奥殿というものが本殿の後ろに連なっている。



(田村神社・本殿と左に奥殿)

この3つの構造物、中は拝殿・本殿・奥殿とだんだん床が低くなっているという。これは非常に珍しいことである。
そして奥殿の床下には底なしの渕がある。
この底なしの淵には竜神が住んでおり、ここを覗いたら死んでしまうという。民話では奥殿を建て替える折、神官が止めるのも聞かず興味本位で覗いた普請奉行が竜神に睨み付けられ、のみを落としてしまった大工は角で返されたのみを恐怖で手が動かず足でとってしまい、二人ともあっけなく死んでしまったという。


この田村神社があるあたりは稲作がさかんであり、かつ近くを流れる香東川の伏流水が流れることから湧き水が多い地域である。雨の少ない土地ゆえにこういった話が生まれるのだろう。


香川には他にもいろいろと竜(龍)の文字がつく土地や話がある。
香川県で一番高い山も竜王山という名で、山頂付近に竜王神社がある。
志度には藤原房前の母が父の藤原不比等に房前を世継ぎと認めてもらうために海に潜り龍宮に向かって珠をとってくる話があり、能「海人」になっている。

帰省では山の上に川東八幡があり、その側の池まで参道が延び、池の小島に御旅所がある竜満池によった。



(川東八幡神社境内から竜満池と御旅所を望む)




香川県を代表する金刀比羅宮や和邇にまつわる話、槌ノ戸と竜神。
これらは海と雨(水)に関係するものだ。讃岐国の式内社にも水に関係するものが多く、実際に社格にも現れている。金刀比羅宮のワニについても、古くは金毘羅は鰐で他の神社は和邇、なんて使い分けはせずワニはワニとして考えられていたはずで探れば面白そうだ。

2つにわけてずいぶん書いたけど、これも金刀比羅宮や城山神社、和尓賀波神社の論社に田村神社などの神社に興味をもたなかったら知らなかったような話ばかりだ。逆にいえば神社に興味を持つことで香川の土地のどこが重要視され、土地の人が何を考え何をしていたのかが見えてきた。まだ神社巡り初めて一年もたってないが、香川についてだけでももう一つ書けるくらい知識がたまった。香川に限らず、日本の古代史・中世史に民俗学、地政学の知識が飛躍的に増えた。

考えれば直近60年を除けばほぼ一貫して神社というのは日本人の生活と密着していたのだから当然といえば当然かもしれない。


ただ、香川と東京以外は金と時間がかかるので学生のうちはなかなかフィールドワークがやりにくい。東京の式内社は全部参拝したし。
はやく自分で稼ぎたいわ。


また遅くなってしまったんではよ寝ます。

和邇と龍神

今日はまた西方面に遠征し、神社巡りしてきた。
これで武蔵国の延喜式内社を論社もまとめてすべて参拝してしまった。

http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=103357990143477012256.000446cbf071cf6a6f38b&z=9
(google mapで作った神社の地図)

※ これから時々mapをリンクさせることがあると思うけど、青色が目標地点で赤色が目標達成地点、緑色がランドマークなんでヨロツク。

さて、今日で春休みは終わりだ。
自分的には42点。
春休みが始まる前に立てた目標をすべて達成することができなかった。
神社巡りは目標達成。jazz研も目標達成。ただしだいたいの目標は達成したもののお勉強の方はとある本を60ページばかり読み残してしまった。
すべての目標を達成して50点。なぜならば本当に充実した日々を送れば当初見えていたものよりもより多くのものが見えてくるはずだから。
今回は見えるだろうな、と予想していたものしか見えていない。
でも、最近また勉強欲がムクムクとこみあがってきたのでこれからがんばりたいと思う。



これだけで終わったらせっかく手をつけた日記が勿体ないので今回帰省したのを絡めて少し書こうかと。
香川県という土地は海と水に絡んだ歴史をもっていて、探ると非常に面白い土地なんです。



現在ケンタッキーフライドチキンのCMで流れている曲の元ネタはご存知だろうか。といっても香川人以外にわかるとは思っていない。

答えは「金毘羅船々」で香川県の民謡である。聞きたければググってください。

この金毘羅とは香川県琴平町にある金刀比羅宮(ことひらぐう)のことだ。
金刀比羅宮という名の神社は全国に有り、その総本社が香川県にある金刀比羅宮である。海の守り神として知られている。

この金毘羅とは薬師如来の十二神将の筆頭である宮比羅大将のことを指し、この宮比羅大将はサンスクリット語でクンピーラといい、元々はインドのガンジス川に棲む鰐(わに)が神格化されてヒンドゥー教の神だったという。鰐は日本神話においても海神や竜神と関係の深い神であったので海の守り神として崇敬を集めたとされる。

金刀比羅宮の由緒には古来より琴平神社があったとする説と、松尾寺のご本尊釈迦如来の守護神として祀られていた金比羅が神仏混交により神格化したという説の2つがある。個人的には金毘羅の名の由来や金刀比羅宮のある山の象頭山(典型的な仏教の地名)という名が定着していることなど考えると後者のような気がしてしまう。



ところで、鰐と書いたが、インドでいうワニ(鰐)と日本神話におけるワニ(和邇)は別のものを指すというのが通説となっている。鮫とするのが有力らしい。
日本神話において有名な和邇は「因幡の白兎」の話で白兎に騙され白兎の皮を剥いだとされる悪魚としての和邇と、「山幸彦と海幸彦」の話で主人公山幸彦と結婚することになる豊玉比売(トヨタマヒメ)の正体としての和邇だ。

香川県にはこの「山幸彦と海幸彦」の話にまつわるとされる場所がある。

ここで超簡単なあらすじ。
山幸彦は海幸彦から借りた釣り針を無くし、それを探すために龍宮城へ行く。そこで海神・豊玉彦とその娘のうち姉の豊玉姫と妹の玉依姫に出会い、豊玉姫と結婚する。山幸彦が海幸彦を従えた後、豊玉姫は子を産むために山幸彦に会いに来たが、産屋を建て終わらないうちに産気づいてしまった。豊玉姫は山幸彦に絶対に中を見ないように言って産屋にこもるが、お約束のごとく山幸彦が中を見ると、そこには八尋和邇の姿があった。姿を見られた豊玉姫は海と陸との道を閉じ海へ帰っていった。


ここで香川県の地図を。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=103357990143477012256.000448f848b7e9a8f21c5&ll=34.284161,133.975959&spn=0.50493,0.915985&z=10

縦に3つならんでいる緑色の印がおわかりだろうか。
北から順に豊島(てしま)・男木島(おぎじま)・女木島(めぎじま)といい、その西に並んでいる島を大槌島と小槌島という。


これらの島にはこの物語に関わる神社や島の名前も含めた地名・伝説などが多数残されているそうだ。
豊島は豊玉彦を祀る「豊玉神社」、男木島には山幸彦を祀る「加茂神社」と豊玉姫を祀る「豊玉姫神社」、女木島には玉依姫を祀る「豊玉依姫神社」と玉依姫が乗っていた和邇を祀る「荒多神社」がある。島の地名にもこの物語にまつわる地名が多く残っている。また、この荒多神社のご神体は海中にある石であり、この石は和邇が戻ってこない玉依姫を待ち続けて石になってしまったものとされる。

豊玉姫神社の鳥居は西を向いており、そこから瀬戸内海を眺めると大槌島と小槌島が見える。このあたりは槌ノ戸といわれ、山幸彦が釣針を探しているときに塩椎神(しおつちのかみ)が現れたところとされる。さらにこの二島の間に龍宮城があるとされ、その入り口は亀水の淵にあるとされる。

関係する土地はここだけでなく、屋島のそばから流れる新川にそって豊玉姫が遡上てきたという地に豊玉姫を祭神とする和爾賀波(わにかわ)神社・鰐河(わにかわ)神社という2つの神社がある。2社とも延喜式内社和尓賀波(わにかわ)神社の論社である。




で、山幸彦と海幸彦にまつわる話は以上だが、実はこの龍宮城があったという場所についてもう一つ伝説がある。

けど長くなったので2回に分けようかと思う。

なんでそろそろ寝る。

過去を見返り美人

過去の日記見たり、写真見たり、記録を見たりするのは結構好きです。
ここ数ヶ月はあんま日記書いてないから楽しめないけど、それより前なら結構豊富な日記があって懐かしい。

昨日それをしてたら気分が盛り上がってきて、高校時代のデータを記録したCD-RWまで引っ張りだしてきて懐かしんでました。うどん屋データとか吹奏の部長仕事記録とか後輩とのメールのやり取りとか・・・。


気になる存在の写真は↓(06年11月10日の日記より)
http://mixi.jp/show_diary_picture.pl?owner_id=271459&id=264892691&number=52
香川人以外にはピンとこんかもしれんけど、これは香川で釜玉に慣れ親しんでる人には↓並のインパクトがあります。http://doraneko.sakura.ne.jp/sblo_files/doraneko-link/image/0409212.jpg
「All your base are belong to us」を笑った外人さん達も似たような気持ちだったのではと思ったり。


普通に風景を撮ったものでは
1位(夏の日の瀬戸内海):http://mixi.jp/show_diary_picture.pl?owner_id=271459&id=12172444&number=220
2位(秋の日の東京上野):http://mixi.jp/show_diary_picture.pl?owner_id=271459&id=239018991&number=177

いつも携帯写真なのだけど、この2つは会心の出来やな。
金が余ってたらニコンの一眼レフ買いたい。


ネタ話みたいなのは香川産の名著(?)「笑いの文化人講座」かおおひなたごうの「おやつ」がお気に入り。とりあえず「おやつ」ネタ2本。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=220314437&owner_id=271459
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=81976767&owner_id=271459


最近毎日のように夢を見ている(目が覚めても覚えている)。
てことで夢日記
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=6830946&owner_id=271459
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=8800726&owner_id=271459
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=14566836&owner_id=271459
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=14934141&owner_id=271459
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=15307234&owner_id=271459


あと見てたら香川に帰省するたびに香川の観光地的なところのレビューを書いてたりするんよな。セルフ観光大使的な何か。

そういえば3月にも香川に帰省してました。
日記サボりすぎて何も書いてないわ。
んでもって香川でうどん食いまくって神社巡りしまくって、東京に帰る途中に京都よって神社巡りしてました。
またレビューでもかきまひょ。

とりあえず今回は4日で8杯のうどんを食った。こんなもんか。がんばったらこの1.5倍はいけたな。
とりあえず、まわりで香川ブームらしいので今回とったうどんの写真でも貼って子の日記は終わり。



一日目一軒目「うどん市場」:なんてことは無いファーストフード店的うどん屋。マックよりも高い集客力を誇る。そこそこうまい。



一日目二軒目「五右衛門」:高松夜の店(うどん屋)の二大巨頭の一。カレーうどんが有名だが俺はぶっかけしか食ったことがない。うまい。


二日目三軒目:坂出SATYの中のうどん屋。ほんとは宇多津の「おか泉」に行きたかったんやけど行列してて、後の予定がつまってたこともあり、泣く泣くここで食うはめに。ふつう。失意の昼食だったので写真は無い。



三日目四軒目「さか枝」:高松昼の店(うどん屋)の二大巨頭の一。俺が一番食ってるのはこの店。俺の中のさぬきうどんスタンダードはここ。うまい。



三日目五軒目「あたりや」:県内最強の派閥宮武ファミリー(宮武・山内・松岡・あたりや)の一角とされてるが、四つを四天王とすれば最弱。一回刺されただけで死ぬぞー! でもうまい。



四日目六軒目「松下」:中心部で密かに繁盛。コシは強くないが、いくらでも食えそうなうどん。あとこのくだかれた天カスが絶品。ファンも多いはず。うまい。



四日目七軒目「増井」:米屋さん。もともと農家が2毛作の小麦を使って作り始めたというさぬきうどんの歴史を証明する店。超素朴。味は薄いがもう雰囲気だけでうまい。



四日目八軒目「鶴丸」:高松夜の店(うどん屋)二大巨頭の一。カレーうどんが有名やけど、一度食ったっきりでいつもぶっかけばっかり食ってる。いつもは帰省した日に実家に帰る前による店。うまい。



終わり。
他に久しぶりに三宅ラーメンも食いました。じいちゃん・ばあちゃん元気にしよりました。お客さんとかみてなごみまくった。

さて、はよ寝ます。

一つの区切り

3月30日にjazz研の卒業ライブがありました。
5時間半に及ぶ長い長いライブでした。
例によって16バンド中15バンドに出演。練習段階では16バンドとも経験してしまった。



嘘です。6バンドで3時間半でした。5バンド出演で6バンド経験。

今回のライブは2つの意味で俺にとって大きな意味のあるものだった。


まず一つはjazz研の歴史に一つの区切りがついたということ。

jazz研が正式な団体になってからずっとjazz研部員として活動してきたわけだけど、部室をもらえる前のjazz研黎明期とも言える段階から一緒にやってきたのは今年の卒業生とOB・OGの先輩方だ。その意味で今年の卒業生を送り出してしまうことには俺の中で特別な意味がある。
そしてjazz研としては初めての新歓で入った一年生が始めてOGになるという意味ももっている。
さらに今年から来年部員の学年別人数比で見ても、幹部学年という視点で見てもjazz研内で世代交代が起こった。人が変われば当然組織も変わる。順調にいけば初期の発展段階はおそらくこれで一つの区切りがつき、安定した組織に変わっていくんだろうと思う。


もう一つは個人的なことだけど部長仕事が終わったということ。

これまで2年間jazz研部長という役をやらせてもらってたが、それをようやく次に引き継ぐことができた。
前にも書いたけど、この2年間で学外からの入部や学外ライブなどの外部との交流が生まれ、部員が2倍以上に増え、さらにセッションやライブをはじめとした定期的な活動もできるようになり、その数も増えた。多くは偶然舞い込んできたものや運がよかったものなんだけど、それらを生かすことができて本当によかった。ぶち切れそうになることとか、「ええかげんにせー」と思うことは何度もあったけど、この時期に部長ができてほんま良かったと思う。先輩後輩同僚に感謝。
恒例行事もいくつか作ることが出来て満足してます。恒例行事がいつのまにか伝統になったらいいなと思ってます。
とにかく大きな責任を降ろすことができてほっとした。


ライブ後の打ち上げではOB・OGから新入生まで混ざって、笑いあり涙ありで楽しかった。これからも毎年一回、卒業ライブの日にOB・OGで集まれたらいいなと思う。俺はまだOB・OGじゃないけど。



と、美しい思い出はここまでにして反省点。

[卒業ライブ編]

・会場準備の不備
これは準備段階での俺のミス。学生課の役所仕事しかできない頭の固いオバサンの相手しているうちに自分の仕事を一部抜かしてしまった。ピアノは調律のあったものを準備してあげたかった。本当に申し訳ない。
さらに勘違いにより、ピアノの会OBの皆さんにも時間を部屋の使用時間を直前になったずらしてもらい、迷惑をかけることになってしまった。

・タイムマネージメントのミス
これはマネージャーとして失格。当日の会場準備の遅延でバンド練の時間を縮めることになってしまったこととと、本番の時間がただでさえ長いのに延長してしまったこと。聞いてるほうも飽きるだろうに。
特に本番の時間については去年も同じことをしてしまった。同じ失敗を2回繰り返すことをバカとかマヌケという。

・仕事の偏り
いろいろと仕事を割り振ってたわけだけど、一部の人に仕事が集中してしまう自体が起こってしまった。早めに仕事を任したり、全体の仕事が少なくなるように心がけてはいたけど、配分にはもうちょっと深い考慮が必要だったと反省している。


[jazz研運営編]

・初心者育成の仕組み不足
これは高校までのjazz経験者が少ないという前提条件からすると致命的なことだとは重々承知しつつも、結局「仕組み」作りをすることができなかった。結局、偶然いたにすぎない理論に詳しい部員に頼ることになり、今後の永続性に若干の危機が生じている。

・部費の蓄積
できるだけ部員から徴収する部費を少なくするために少しでも節約して貯蓄を作っておきたかったけど、結局赤字状態。楽器の修理など気をつければ必要のない出費はなるべくゼロにしたかった。あと学外で演奏した際には交通費だけは確実にもらうべきだったと反省している。




最後に勝手ながらこれを見ているであろう次の人たちと見てない人たちへの勝手な期待。

俺が目指してたのはオープンでフットワークが軽く、マニアックな人もライトな人も共存でき、そして最終的に筋の通った組織。
理想像には届かなかったので密かに期待してます。




おそらく今後は自分の中でjazzの比重は少し下がり、勉強の比重が高くなってくるだろう。神社巡りは夏までは変わらずで。
切り替えだわ。
プロフィール

udnkui

Author:udnkui
香川県出身。
京大大学院の博士院生。医科歯科卒。jazz好き。神社巡り好き。独学での法律、政治、経済、経営等社会科学の基礎知識と国会議員、外資投資銀行(米・英・欧)、学際系研究室などでのインターン経験があります。
興味事項:社会、科学、自然、芸術
日々精進してます。

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