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きのうげく

やたら自殺が多い。
未履修発覚の校長、いじめられた人、いじめがあった学校の校長、岐阜県庁総務部長。
いじめれて逃げ場もなく苦しんでたんだろう、ってのはわかるけど、正直自殺予告なんて馬鹿らしいと思ってしまう今日この頃。
報道されて自殺という言葉がよく現れるから、はやる。
不謹慎なことは重々承知です。


教育制度も国を作る重要な社会制度の一つ。
今教育政策が具体的にどんな考えの下で運営されてるのか、とかどのような方向に向かっているのかってのは知らないけど、うまくいってないことはなんとなくわかる。ってことは今の考え方にどっか欠陥があるんだろう。

教育が学力だけじゃないのは誰も否定しないと思う。
その他の部分をどのように育てるべきなのか。
学校と家庭という二つの環境がある中でどのように制度を作るのかっていうのはやっぱ難しいんだと思う。

学習という面でみれば、初めは受動的な情報の取得や外界の模倣から始まり、その過程における比較から人との違いを認識し、違いが個性という名を持つことを知り、自己を確立するって流れだと思う。
初等教育におけるいじめというのはこの一連の流れのネガティブな表現型の一種ではないだろうか。自己と外界から情報を取り込むことしかなかった状態から、情報を得るものと自分との比較が始まる。比較は自分を環境から区別し、自分の立ち位置という観念が出現する。当然自分が何者かわかるほど発達はしてないので周りを模倣しようとする。同じ模倣でも自己中心的な模倣から社会性の意味をもつ模倣が発生するのではないだろうか。前にも書いたようにいじめはこのネガティブな表現型という考え。
これまでいじめとは全く縁がない環境だったし、心理学や人間科学も知らないので、とっくに考えられてるものだったり、逆にまったくあさっての方向向いてるかもしれないけど、今はこう考えた。


とりあえず、初等教育・高等教育などにかかわらず今の教育に望むのは多様性を確保して欲しいということ。
初等教育では社会の多様性を受容しすることに繋がり、高等教育では直後に待ち受ける社会生活における役割を広げることに繋がるのではないかと思う。
いろんな人間がいて、自分と違っててもそれはそれで良くて、その違いは自分の中に取り込み、自分を発展させることができる、ということを教えることが社会性の教育だろう。

で、具体的に教育現場に何をすればいいのかはわからない。
まぁ、いろんな要因が絡んでるんだろうな。テレビ・本・ネットなど初期教育から学校と家庭以外から情報を得る機会も多くなった。何が悪くて何がいいかなんてとてもすぐにはわからない。

とりあえず今後何がどうなるのか静観します。
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プロフィール

udnkui

Author:udnkui
香川県出身。
京大大学院の博士院生。医科歯科卒。jazz好き。神社巡り好き。独学での法律、政治、経済、経営等社会科学の基礎知識と国会議員、外資投資銀行(米・英・欧)、学際系研究室などでのインターン経験があります。
興味事項:社会、科学、自然、芸術
日々精進してます。

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