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鼓動

NHK教育で鼓童の公演の番組があったので見た。
鼓童結成25周年記念の公演、坂東玉三郎と競演の「アマテラス」のドキュメント+公演録画だった。

外国の新聞の文言を借りれば
「いかなる美辞麗句で飾っても、
鼓童の原初的な力強さと勇壮で華やかな美しさを
伝えることなど決してできない。」
シカゴ・トリビューン[アメリカ]
って感じ。その場で見て聞いて感じたかったなぁ。

自分が太鼓を叩きはじめたのも、幼いときに祭りとかで和太鼓演奏を聞いてたのが原体験になってると思う。

で、例によっていろいろと考えてしまうんだけど、こういう伝統芸能だとか言葉って、日本人が生きる中で何を感じてどのように生きてきたかってのを表してんだなって感慨深くなった。
太鼓の種類にも実にたくさんあってそれぞれ叩き方からバチまでいろんなものがあるし、太鼓に限らず何かの楽器一つとってもそこから奏でられる音はほぼ無限にある。日本の音楽って音符じゃあらわせられんのよね。
つい最近授業でも先生が言っててなるほどと思ったんだけど、ものを食べる音にしてもパリパリやバリバリ、ポリポリとか実に多くの擬音語があるんだけど、外国語ではそう多くはない。

で、伝統だとか文化だとかがなんで生まれたのかっつーと、たぶんそれがないと生きられなかったからなんだろうなぁ。
その土地の自然や隣接地域との関係、地域を治める原始宗教と祭り、必要な情報を伝達する言葉と文字。それが廃れるのは、それがなくても生きていけて、その不文律のようなものが必要ではなくなったからか。現代でも一定の集団で無人島に移り住んだならその集団に特有な慣習が生まれそうだな。
その土地の人の中から不文律が消えたなら、こんどはその法を明文化しなければならない。阿吽の社会から契約社会へかな。

近年の医療現場は正にその変化の過渡期じゃないだろうか。
阿吽の医者-患者関係からインフォームドコンセントによる明確な関係へ。責任の所在を明らかにし、言葉によりコミュニケーションをとる。

まぁ、そんなこたぁいいや。


だいぶ話がそれたけど、坂東玉三郎を見て歌舞伎にも興味をもった。
演技に入った時の纏ってる空気が違う。
歩みの動作一つに見入ってしまう。
すごいなぁ。


夏休みにしたいことが増える。
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プロフィール

udnkui

Author:udnkui
香川県出身。
京大大学院の博士院生。医科歯科卒。jazz好き。神社巡り好き。独学での法律、政治、経済、経営等社会科学の基礎知識と国会議員、外資投資銀行(米・英・欧)、学際系研究室などでのインターン経験があります。
興味事項:社会、科学、自然、芸術
日々精進してます。

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