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和邇と龍神 続き

学校始まりました。
なんかjazz研の新歓が順調です。

さて、この日記は続き日記なのでさっそく。

前回の日記。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=768496596&owner_id=271459

要約:香川県にある金刀比羅宮。ご祭神こそ違うものその名の由来はインドのワニ(鰐)が神格化したクンビーラ神である。一方日本神話にもワニ(和邇)にまつわる話がある。香川にはそのうちの一つである「山幸彦と海幸彦」の話にまつわる土地や神社がある。その中で龍宮城があるとされたのが大槌島と小槌島の間の槌ノ戸である。

http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=103357990143477012256.000448f848b7e9a8f21c5&ll=34.284161,133.975959&spn=0.50493,0.915985&z=10(香川県の地図・延喜式内社の場所と日記用目印付)



(手前:小槌島、奥:大槌島、間が槌ノ戸と呼ばれる海、ちなみにこのあたりは四国島と本州島が最も接近している場所であり、奥に見えているのは本州である。)


槌ノ戸にもう一つ伝説があるというところで終わった。

その伝説とは「讃留霊王(さるれお)伝説」というものである。

超簡単なあらすじ
景行天皇の頃、土佐の海な悪魚が現れて悪さをしていた。景行天皇にその退治を命じられた神櫛王は讃岐の槌ノ戸の付近に移っていた悪魚を追って讃岐に入り櫛梨山に拠点を作る。その後80人余りを船に乗せ悪魚に挑むが、船もろとも飲まれてしまう。体内で兵が毒気におかされるなか王は火をつけることを思いつき悪魚を倒すことに成功する。毒気にあてられた兵は白峰のあたりから雲にのって表れた横潮大明神という神に水を与えられ蘇った。よってその清水は八十場(八十蘇)の清水と呼ばれるようになった。景行天皇に功を認められた王は讃岐国造に任命され125歳まで生きた。

八十場をはじめこの伝説にまつわる地名は今もいくつか残っている。さらに神櫛王が拠点を作ったといわれる場所には讃岐国延喜式内名神大社(県内3社)の城山神社があり神櫛王を祀っている。
ちなみにこの主人公の神櫛王はヤマトタケルの弟であり、香川の西のほうでは武殻王(タケカイコオウ・ヤマトタケルの子)となっているようだ。ちなみに高松市と合併した旧牟礼町に王墓という地名があり、そこに宮内庁所管の神櫛王墓がある。


とまぁ、こんな感じだが、探したら他にも槌ノ戸にまつわる話があった。

「経沈め」
保元の乱で讃岐に配流となった崇徳上皇は厳しい軟禁状態の中で一心に五部大乗経を写経した。戦死者の供養と反省のために京の寺におさめてほしいと朝廷に送ったが、後白河法皇により呪詛がこめられているとされ、送り返された。これに上皇は発狂せんばかり怒り、舌先を噛み切って誓言を小指を噛み切って血書をされ、槌の門(槌ノ戸)に沈められた。すると海上で火が燃え童子が舞い、竜神が現れて受け取ったという。その後京では大火事・反乱・飢饉が起こり、崇徳上皇の祟りとされた。

「了応和尚の雨乞い」
ある年讃岐は飲み水にも困る大旱ばつにおそわれた。高松藩主は城下の法泉寺了応和尚に雨乞いをするように命じた。了応和尚は翌朝藩主に頼み16人の腕達者の舟子と大鯨船で槌ノ戸に連れて行ってもらう。そこで和尚は何かを海に投げ込んだ。和尚は舟子に雨が降らないうちに早く帰ってくれとせかすが、舟子たちは雲ひとつない青空なので急ごうとしない。そのうち白峰山のあたりから黒雲がたちあっという間に大雨になり和尚たちはずぶ濡れになってしまった。後で聞くと和尚は龍神様にあてて手紙を書いたのだという。



実に古代から中世にいたるまでこの槌の戸は龍宮がある神域とされてきたということがわかる。この当たりは四国島と本州島が最も接近している地域であり、海流が早く、鯛や鰆の良い漁場であったというからいろいろと話が生まれるのだろう。



次に注目するのはこの竜神である。
実は讃岐国一ノ宮で延喜式内名神大社でもある田村神社にも竜神伝説がある。
田村神社は拝殿と本殿という通常の神社の構造物に加え、奥殿というものが本殿の後ろに連なっている。



(田村神社・本殿と左に奥殿)

この3つの構造物、中は拝殿・本殿・奥殿とだんだん床が低くなっているという。これは非常に珍しいことである。
そして奥殿の床下には底なしの渕がある。
この底なしの淵には竜神が住んでおり、ここを覗いたら死んでしまうという。民話では奥殿を建て替える折、神官が止めるのも聞かず興味本位で覗いた普請奉行が竜神に睨み付けられ、のみを落としてしまった大工は角で返されたのみを恐怖で手が動かず足でとってしまい、二人ともあっけなく死んでしまったという。


この田村神社があるあたりは稲作がさかんであり、かつ近くを流れる香東川の伏流水が流れることから湧き水が多い地域である。雨の少ない土地ゆえにこういった話が生まれるのだろう。


香川には他にもいろいろと竜(龍)の文字がつく土地や話がある。
香川県で一番高い山も竜王山という名で、山頂付近に竜王神社がある。
志度には藤原房前の母が父の藤原不比等に房前を世継ぎと認めてもらうために海に潜り龍宮に向かって珠をとってくる話があり、能「海人」になっている。

帰省では山の上に川東八幡があり、その側の池まで参道が延び、池の小島に御旅所がある竜満池によった。



(川東八幡神社境内から竜満池と御旅所を望む)




香川県を代表する金刀比羅宮や和邇にまつわる話、槌ノ戸と竜神。
これらは海と雨(水)に関係するものだ。讃岐国の式内社にも水に関係するものが多く、実際に社格にも現れている。金刀比羅宮のワニについても、古くは金毘羅は鰐で他の神社は和邇、なんて使い分けはせずワニはワニとして考えられていたはずで探れば面白そうだ。

2つにわけてずいぶん書いたけど、これも金刀比羅宮や城山神社、和尓賀波神社の論社に田村神社などの神社に興味をもたなかったら知らなかったような話ばかりだ。逆にいえば神社に興味を持つことで香川の土地のどこが重要視され、土地の人が何を考え何をしていたのかが見えてきた。まだ神社巡り初めて一年もたってないが、香川についてだけでももう一つ書けるくらい知識がたまった。香川に限らず、日本の古代史・中世史に民俗学、地政学の知識が飛躍的に増えた。

考えれば直近60年を除けばほぼ一貫して神社というのは日本人の生活と密着していたのだから当然といえば当然かもしれない。


ただ、香川と東京以外は金と時間がかかるので学生のうちはなかなかフィールドワークがやりにくい。東京の式内社は全部参拝したし。
はやく自分で稼ぎたいわ。


また遅くなってしまったんではよ寝ます。
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プロフィール

udnkui

Author:udnkui
香川県出身。
京大大学院の博士院生。医科歯科卒。jazz好き。神社巡り好き。独学での法律、政治、経済、経営等社会科学の基礎知識と国会議員、外資投資銀行(米・英・欧)、学際系研究室などでのインターン経験があります。
興味事項:社会、科学、自然、芸術
日々精進してます。

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