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うどんと人生

あけましておめでとうございました。ということで初日記。
書こうと思ったことは幾度となく。

日記とは自分を客観化し、他者と視点を同一にするものだ、とどっかんじょ心理学者は言ったらしい。ヘイデンだったかな。

少なくともこれまで日記を書いてきたことは少なからず自分に整理し、奮い立たせるのに役立ってきてた。
いまいちのらない今こそいろいろと書くべきだろうと思う。でないと後で振り返ったときに「空白の時間」になってしまう。空白の時間ほど無駄なものはない。時間は積み重ねてこそ価値が生まれるのであって、ただ流してたのでは資源の無駄である。

なんてことは思うけど、はっきりいって無気力気味になっている。
おそらく発端は12月末。
祝祭日も含めて約一ヶ月毎日予定が入ってたんだけど、学校が終わると同時に突然開放され、呆けた状態で冬休みを過ごし、現在まで惰性で若干の無気力状態が続いている。
困った。

困った。




とりあえずおいといて、正月から今までの記録。


正月はうどん食って、年越しは友達と滝宮天満宮行って、香川県に3つある延喜式内明神大社3座の初詣に行って、徳島の津峰神社と鳴門の鯛料理の店に行って、うどん食って東京に帰ってきた。
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この徳島の津峰神社は延喜式内橘湾が一望できる山の山頂にあって景色がものすごくきれい。で母方の曽祖父がこの神社の注連柱を寄付してて縁のある神社でもある。庵治の石を使ったもので船で山の麓まで運び、そこから地元の青年会を呼んで総出で山の上まで運んだんだとか。

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まぁ、そんなこんなで東京に帰ったのは4日。
たまには新幹線でと思い、チケットをとるも時すでに遅く、早朝の席しかとれず、朝5時半に家を出た。
んで東京につくとその足で六本木ヒルズに行き、竹中平蔵を中心とした「チーム・ポリシーウォッチ 」の講演にいってきた。
フェルドマンさんはWBSのままでした。

いろいろと心に刻んだ言葉はあるけど、たぶん今後の日記で引用すると思う。

この日はこれが終わるとすぐにjazz研の練習へ。
はっきりいってこの日は結構忙しかった。


この後学校が始まって、PBI教室の勉強会やシンポジウムへの参加と日々の最低限の読書はするも無気力な日々が続いています。

仕事があるのに後回し、今日できることを明日やろうとする日々。
あぁ、駄目だ。




昨日の深夜2時頃、郵便物を出しに外出し、そのままふと思い立ち、自宅より北にある東京十社のうち三社に初詣してきた。
その時に考えたこと。

考えたことをすぐに何の躊躇もなく動き出せるのは自分の長所だ。
この自覚は中学校の先生に言われてから、そして実際の基礎は高校時代の吹奏楽部の仕事とうどん部で養われた。
例えばテスト期間中などで10時すぎに学校が終わり、ふと、昼飯にチャリで片道1時間半のうどん屋に行こうと思い立ったことがあった。市街地から離れて山を越えるような場所にある店。大抵の友達はこの考えについてこれない。
まぁ、それでも行くという友達(変人)に恵まれたから良い高校時代だったと思うんだけど。(ちなみにこの時はそのうどん屋で食った後、もう一時間かけてもっと遠いうどん屋にも行った。)

その後大学に入ってどう変化したか。
遠いうどん屋に行く決心をする代わりに歯科に関わる問題について勉強する決心をした。そのまま勉強をはじめ、始めに興味をもっていた疑問点についてはある程度自分の中で解釈が出来、興味は次に移りまた勉強を続けた。結局今興味をもって勉強しているのは始め興味をもって勉強していたものとは随分と違うものだ。高校時代、最後に到達したうどん屋が自宅までまっすぐ帰って2時間強かかる場所にあったように。
ずいぶん遠くまできたものだ。

はたして今後自分はどうするのか、どうなるのか。
ここから引き返して自宅(歯学・歯科医師)に戻るのか、そのまま次から次へとうどん屋(他の分野・業種)を探して彷徨うのか。

と書いたけど、うどん屋巡りとはまったく違う。
今回は仲間がいない。同じ土壌で議論できる人や興味を共有できる人がいてほしい。12月にもそれを感じてて、某歯科系コミュでトピックを作ったりもしたけど、結局望むものは何一つ得られなかった。(あれにも始末つけなきゃなぁ)
そして目的が違う。うどん屋はあくまで自分の食欲だけど、今のは社会を相手に自分の考えている影響を与えることを目的としている。現実的な問題として、最低限自分も食っていかなきゃいけないし、自分の欲も満たしたい。

目的が違うということは手段も同じではいけないはずではないか。
うどん屋巡りに他人の評価は必要ないが、社会に影響を与え食っていくのには他人の評価が必要だ。今のように、うどん屋巡りのように興味の赴くままの勉強は他人に評価されうるのだろうか。
姿勢が評価されることはあっても、その中身が評価されるようなことはないだろう。誰もその過程を知らないんだから評価のしようがない。
そして目的を達成するまでの道程が違う。うどん屋は選択肢はいろいろあっても道路の上を走ってればつくが、現在の目的を達成するためには道なき道を探りながら自分で進まなければいけない。
また、その目的を達成するためには仲間が必要である。うどんを食うのとはわけが違う。将来自分が何か行動を起こすときに同時にリスクをとってくれる仲間がいるのか、と考えれば今はいないだろう。





いろいろと書いているけど、現在の迷いは現実的に自分をどうもっていけばいいのかということ。
現在のままでは自分に価値はない。生きていくためには誰かが求めている価値を提供しなくちゃいけない。つまり働くということ。
同時に自分には目標があるからそれをいずれ達成しなくちゃいけない。

これらを満たすのに良いであろうキャリアも見つけたけど、果たして自分はそこに行くことができるのか。はっきりいって難しい。行けない場合はどうするのか。
結局自分の力で自分を養うことが出来ずに自宅(歯学・歯科医師)に変える道を歩んでしまうのではないか。
それだと、自分の中ではかなりの距離を走ったつもりでも、現実には何もしてない人と同じにしか見えない。見えない限り他者から評価はされない。社会にも影響を与えられない。

はっきりいって今できることは勉強することしかないから、勉強すべきなんだろう。悩みがあってはバイタリティが損なわれるから消した方がいいんだろうけど、現在答えが出る性質のものではないんだろう。わからないものはわからない。

勉強するしかない。
ほんまに。

焦る。

なのに最近若干無気力な自分に腹が立つ。
何よりも生活リズムが狂っているのが最大のストレス原因だ。

困った。

とりあえず、この日記を書いて自分にとってもはやうどんは自分にとって欠かすことのできない要素なんだとわかった。

なんだそら。
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プロフィール

udnkui

Author:udnkui
香川県出身。
京大大学院の博士院生。医科歯科卒。jazz好き。神社巡り好き。独学での法律、政治、経済、経営等社会科学の基礎知識と国会議員、外資投資銀行(米・英・欧)、学際系研究室などでのインターン経験があります。
興味事項:社会、科学、自然、芸術
日々精進してます。

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