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混乱から沈静(長文、乱文)

気持ちが悪い。

感情が溜まって噴出しそうだ。
腹の中をぐるぐるまわる感情で非常に気持ちが悪い。
乱された。

いつも哲学と共に筋を通し論理を保とうと思っているけど、それが乱される時、軸を強打するのは決して事象ではなく人。
こうも簡単に揺らぐものなど実際に役に立つんだろうか。
腸が煮えたぎるまではいかなくてもそれほどのものが駆け巡る。
自分に対して他人に対して常に誠実であろうと思う。
できるものならすべてに自分の持てるものを差し出そうと思う。それをすべて現実にはできないのだけど、わずかに実施されたものすら意味をなさなかったらその代償は大きい。
過去に今と同程度乱された経験をさぐると3回。一度は腸が煮えたぎった。一度はどん底で気が狂いそうになった。あと一度は程度は軽かったがある認識が反転した。
今回はどうなるんだろう。山場はまだ迎えない。
人を説明しようなんてできないことだし、しようと思わないけど、頭の中では理性に反して必死に説明しようとしている。
到底それは表現し理解するよりはやく流れ去り、目の前に現れたと思ったらまた飛び去ってしまう。
分類なんて無意味。すべてを記述できる高名な分類学者がいて、いくらある事象を十分に記述できたとしてもその解決に関しては全く無力だろう。でも自分では今の自分の心理状況を分析し、定義しようとしている。
無意味ではないように思う。おそらく記述することによって哲学体系に沿うよう解釈するんだろう。それに含むことができたらそのアクシデントを克服することになる。
その哲学も大きな大きな困難の中で生まれた。
今相当な量の思考をしている。アドレナリンの作用か?感覚が鋭くなってるんだろう。ストレスを感じたってことだ。
思考が重なっておいつかない。
感覚が鋭くなり、集中力が増す。その時思考においても集中力が増すんだろう、余分なことを考えない分、いつもより的となる思考を確実に分離できている気がする。
ただ現実からの情報に集中することができない。勉強してたけどとても続けてられなかった。
思考がとまらない。現実の事象なら研究され完璧に記述できるだろうが、自分の中はいくら探っても探っても終わりがない。
いくら思考を文脈化しても整理しつくすことができない。
いまはおそらくすごく無防備だと思う。自分自身が。
人格がふっとんだ状態。
人格は自分自身の表現型であり環境適応型の鎧だということを考えたことがある。
自分自身がまず自分自身を定義するものとして根本にあり、それを実際の生活という環境に情報を限定されて投影されたものが人格。
ある子供が自分より年下の幼い子供ばかりの集団に入れば、そこに適応すべく周りより優れた自分という人格を形成するだろうし、逆に自分より強いものばかりの集団に入れば弱いものとしての人格が形成されるだろう。
普段の生活では環境によりいろいろな人格が形成されていて、無意識に使い分けてるんだと思う。
それは自分自身の環境への適応という意味に加え、環境の中の人間が自分に対して理解する助けにもなるんじゃないかと思う。例えばある子が見知らぬ土地の中学校に入学するとしたら、まず相手は自分のことを知らないから自分を表現することから始めるだろうと思う。それは土地を移る前の自分とは違った行動様式をとることを意味する。
いわば自分自身を構成する莫大な情報とそれ以上にある環境の情報の受け渡しを助けるのが人格ではないかという考え。
受け渡しがある以上対人間(生物)に限るだろう。いわば複雑な多重構造の情報ネットワークをつくる人間関係の必須ツールだと思う。
その情報のおき方に自分自身に重点をおくか、人格の方に重点をおくかはひとそれぞれ。あんまり自分に重点をおくと自己中に陥りネットワークが切れるだろうし、人格に重点をおくとネットワークに振り回されて自分を失うことになる。
人を見るときその人自身を見る場合と人格を見る場合がある。
例えば仕事なんかする時はいちいち自身をみたりはせず仕事に特化された人格のみを使用して周りもそれを見ることが多いだろう。肩書きなんかはその仕事人格の役割の名前みたいなもんだ。
人に誠実にあろうとしても個々の人格に誠実にある必要なないと思う。時にそれは影であり、空虚だから。例えば相手が自分のお金だけを目的に近づくならそれに対して誠実であれば逆に自分が痛手を負ってしまう。

だんだん思考が収束してきた。
俺はできるだけどのような環境でも表現型の人格と自分自身を常にリンクさせて筋として哲学として自分自身を定義してきたつもり。
ただ人格の相手になる人格が常に相手自身とリンクしているとは限らない。見誤り、影に手を差し出すとするりと肩透かしをくってしまう。今回はそれだろう。自分自身に誠実であろうとしすぎたのかもしれない。その手に込められた自分自身は行き場を失って自分自身の秩序を乱す原因となった。
人間の心の持つ力は大きい。純度が高く密度が高ければ高いほど行き場を失った時のダメージは大きい。

かなり収束してきた。
心の記述も役に立つもんだ。
現実にある問題はここまで悲観するものではないだろう。
もはや俺の中に占める割合は相当に少ない。
いつまでもダメージばかり負うのは割りに合わない。
きっぱり縁を切ろうかと思います。

てことで部活(アメフト)やめます。
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プロフィール

udnkui

Author:udnkui
香川県出身。
京大大学院の博士院生。医科歯科卒。jazz好き。神社巡り好き。独学での法律、政治、経済、経営等社会科学の基礎知識と国会議員、外資投資銀行(米・英・欧)、学際系研究室などでのインターン経験があります。
興味事項:社会、科学、自然、芸術
日々精進してます。

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