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単純化、純粋化するということ(長文)

最近いろいろなことについて考えることが多い。
生活上のささいなことから、学校や部活のこと、自分の将来のことに医療・歯科医療のこと、政治のことに経済のこと・・・。

その際意識的にも無意識にも、物事を単純化し、考えを純粋化することが多い。できるだけ考えを的確に組み立てるには有効だし王道な方法だと思う。
本質を見つめ、解決のための原則や前提から考えを組み立てることができる。もちろんそれが直接解決法を指し示すこともある。
でももちろんそこに省かれる要素があるわけだから、現実的な要素を加えていくにつれてそれを通すことができないこともある。


単純であること、純粋であることというのは時に未成熟であるようなものに捉えられることもある。
時には正しいだろうけど時には間違いだと思う。
単純・純粋である状態から何かの要素を得て枝葉が広がったとする。新しいことに対する好奇心や期待でその動きは加速するだろう。

だが物事の本質というものを考える時、枝葉は切り落として考えなければならない。論理を組み立てるなら「初め」に立ち戻らなければならない。
元の場所がわからなければ複雑化したものを整理することはできないし、整理できなければ議論することもできない。

ものによっては本質だけでよくて枝葉が必要ないことはあるが、枝葉だけで幹の必要ないものなんてないはずだと思ってる。だけど現実には枝葉ばかりが一人歩きしていることが多い。


この文章も幹だ枝葉だばかりといって抽象にしすぎると本質を伝えられない。もっとも伝えたいことってのは多くの場合において伝わらないものなんだけど・・・。


ぐるりとまわって元にもどるということ、これは自分にとっては前にも経験があること。

高校の時に哲学にはまった。表現が難しいんだけど、思考の世界に囚われた。
これまで過ごしてきた人生とは全く別の世界で毎日を送り、全く別のものを見ていた。現実から遠ざかり、厭世的なものをもって毎日を送っていた。
その中ではいつも思考していた。自分について、自分を動かす自分について、自分自身の思考について、思考する自分について。

その状態はしばらく続いたが、その結果辿り着いたところは元の場所だった。

その瞬間、自分は自分の根拠を見つけることができた。
それは自分自身。そこで自分を認め、肯定することができた。
自分を把握することにより、思考の構造を知り、論理を知ることができた。

辿り着いたところはスタート地点で、日々の生活には何の変化も生まなかったし、自分自身も元の場所に戻ってきたんだけど、自分自身を得るという経験は確かに自分自身を変えたと思う。


時々自分に自信を持ってる発言をすることがあるけど、その元をたどればこの経験に辿り着く。
この経験を得たことを使って世のためになりたいと思う。
それがなぜ歯科医療になったのかは何回も人に話したことあるし、blogにも書いてます。

思考がスタートからゴールに至るまでの期間を知ってる高校の時の友達は俺のことを変な奴だと思っただろうと思う。日々よぎる思考を部活の部日誌に書いたこともあった。今思うとはずかしいし、自分で思い返してみても変な奴だ。


これ見た人は、なぜこんなことを公開されてる日記に書くのかと思うだろう。
それはたぶん、自己分析の過程という面と、自己表現・自己顕示欲の表れという面にわけられると思う。


あ~このまま思考を続けると延々と続けなければならないからここで切ります。今日は頭の気分がのっていたので考えてみました。自己満です。
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プロフィール

udnkui

Author:udnkui
香川県出身。
京大大学院の博士院生。医科歯科卒。jazz好き。神社巡り好き。独学での法律、政治、経済、経営等社会科学の基礎知識と国会議員、外資投資銀行(米・英・欧)、学際系研究室などでのインターン経験があります。
興味事項:社会、科学、自然、芸術
日々精進してます。

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