スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

どーも不精

今日はちょっとしたきっかけでレアな体験した。一部の人にゃレアじゃないかもしれないけど。
接待受けてきました。

たまに噂にきくDrに対する製薬会社の人の接待にもぐりこませてもらった感じ。
魚いっぱい食べた。当然その会社の薬についても勉強させてもらいました。



いろいろと考えることや書きたいことはあるんだけど、最近さぼりぎみです。このあいだのシンポジウムのレビューも何回か書こうと思ったんだけど、まとめるのがめんどくさくなってしまって毎回挫折してた。
以前はそういう日記でも2時間3時間かけて書いてたんだけど、最近はそういう気力がないかも。
ちっとばかり余裕が足りないんだろなぁ。

---以下単なる個人的記録---

自分で勉強するのと他人から教えられるのだと、他人から教えられる方がずっと楽だと思う。
これって何でなんだろう。

社会の多様性ってのはその大部分が人間活動でできてると思う。人間てのは一人一人違うし、それぞれが自律分散協調的に社会を作ってるからだと思う。東大の人がどう思ってるかは知らないけど、自律分散協調系という言葉は好きです。
社会を知るってどういうことだろう。社会って何だ。
社会という言葉がないなら、自分の目に見えないよくわからないものについて考えたりしないだろう。
自分の周りの目に見えるものを観察する。これは間違いない。
そのうち一人一人違う人間の共通項を見つけ出す。例えば顔腕足意外の部分の露出はあまりないとか、1人で大声出しながら道を歩く人はいない、とか。さらに会話する時には交互にしゃべるとか、みんなお金はほしいとか。
いろいろな値をとっているものに近似曲線を引いたものが社会ではないか。
厳密に実際の社会(値)ではなく、その近似線を観察することが社会をみることではないか。
社会を知るとはなんぞや。
その近似曲線を知ることだろう。ただクロスセクションに観察した場合においても値の数や値の種類によって近似曲線の引き方なんて無数にある。現実はさらに時間が加わるのに。
社会てのは個人の上位にあるのではなく、あくまで並列的なのではないかというのが仮説。
一つの概念にある社会像は人間を実数と虚数で表し、実数部分で近似曲線を引いたもので、虚数部分は隠されて表に出ない。観察の中にある社会は実像は映さない。
社会人とはなんぞ。
この近似曲線を足場として生きる人間か。非社会人はだいたい近似曲線ではなく点(親)を足場にする。近似曲線は大体点と点の間を通ってて不安定そうに見えるけど、日本の場合近似曲線の信頼性が高いからこの近似曲線に加わる点が多く、安定している。

眠くなってきたんでやめた。
頭ん中にうかんでくるものを書いただけなので読んだってチンプンカンプンでしょう。個人言語。


台風めんどいなぁ。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

udnkui

Author:udnkui
香川県出身。
京大大学院の博士院生。医科歯科卒。jazz好き。神社巡り好き。独学での法律、政治、経済、経営等社会科学の基礎知識と国会議員、外資投資銀行(米・英・欧)、学際系研究室などでのインターン経験があります。
興味事項:社会、科学、自然、芸術
日々精進してます。

注意事項


Twitter
カテゴリー
月別アーカイブ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブログ内検索
RSSフィード
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。