スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

なんか・・・・・・・寒くね?


最近事件がありません。
順調っちゃ順調だけど、あまりうれしくはない順調。
というのも、何事もうまくやるって意味ではなく、何事もおこっていないということだから。
壁とか穴とかがあってそれをぶち壊したり飛び越えたりする生活に憧れます。

社会をみなくちゃいけない。
学問だけしてたんじゃだめなんだよなぁ。
実際に役立たなけりゃどんだけ努力しようが何しようが意味ない。大抵問題は人なんだよなぁ。解決策はあっても、それが行えるかどうかは人による。
例えば産業再生機構の人が企業再生に関してその再生案を作ることよりも実際にそれを実行させることの方が難しいってことを書いてるのを読んだことがある。
プレゼンなんかも同じでどんなにすばらしい発見をしてもそれが聞き手に伝わらなければ評価もされないし使われもしない。

そういう意味で去年政策の現場を見てみようと思って実際の動けたのはよかった。
やっぱり社会の中で学ばなければいけない。
最近ちょっと企んでいます。うまくいけばまた書きます。
もっといろいろと知りたい。


多様性というのは人が獲得したものの中で最も意味の深いものだと思う。
先日取り上げた黒川清氏の本の中にこういう問いかけがあった。

『私はよく学生に「人類の祖先が500万年前に登場した後、10万年前に現れたホモ・サピエンスだけがなぜ生き残ったのでしょう」と質問します。
 「脳みそが一番発達したから」「直立歩行できるようになったから」と答える人達がいます。そこで私は言います。
 「一理あります。しかし、直立歩行で脳が大きいと、お産が難しくなります、。人間ほどお産がたいへんな動物はいません。にもかかわらず、人類は増え続けました。それはなぜでしょうか。」・・・』

二足歩行になったことで前足が地面に囚われなくなった。つまり動作の多様性を広げ、その中で道具を使うことを覚えた。遺伝子に頼らない多様性の獲得方法だ。環境に適した生き方を短い時間で獲得することが出来る。
では脳の発達は。理性がその獲得物であると仮定するならば、それもまた多様性を得るためのかっこうの道具であったのではないか。理性を得るまでに脳はどのような転帰をとったのだろう。
一つの種がすべて同じ本能のプログラムをもっていたのでは、それに対する天敵が生まれたときにその種のすべてが絶滅してしまう。できるだけ多様であった方が生き残る確率が高い。
つまり神経回路が発達し複雑化した種では、その複雑な神経回路ゆえそれぞれの個体で本能のプログラム部分から特異的な信号の逸脱を発生させ、それが多様性を獲得することにつながったのではないか。
 人で尻尾が退化したことについて自分で疑問が生じたが、尻尾は4足歩行の動物が地面に囚われない体肢が必要だったからこそあったのであって、二足歩行では自由肢もあれば地面に向かう体肢もあったので逆に邪魔だったんだろう。
おそらく突然変異に頼らない多様性の獲得方法は短い時間で膨大な多様性を生み、その中で複雑に発達した人間と人間社会ができあがってきたんだろう。
医学なんか勉強してるとほんとに人間の体の神秘さに圧倒される。それもおそらく気が遠くなるような時間を経て多様性の中の一つなんだろう。おそらく137億年前からの結果。

いずれにせよ、すべて結果論だ。何々を獲得したから生き残ったというのではなく、何々を獲得したものが生き残っているということしか言えない。地球上じゃ人間よりも大腸菌の方が繁栄してる。ウイルスなんか生命といってよいのかどうかわからないほど単純な作りなのに立派に生き残っている。

こう考えると「人はなぜ生きてるのか」なんて問いは馬鹿らしくなる。単なる結果じゃね?と。



意図せず長くなってしまった。
とりあえず18日のjazz研コンサートにむけて練習ばっかですよと。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

udnkui

Author:udnkui
香川県出身。
京大大学院の博士院生。医科歯科卒。jazz好き。神社巡り好き。独学での法律、政治、経済、経営等社会科学の基礎知識と国会議員、外資投資銀行(米・英・欧)、学際系研究室などでのインターン経験があります。
興味事項:社会、科学、自然、芸術
日々精進してます。

注意事項


Twitter
カテゴリー
月別アーカイブ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブログ内検索
RSSフィード
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。