スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

好調

今日はいい日。これだけ晴れると明日は気温下がりそう。
やっぱ夏はカーッと暑くて冬はツーンと寒い方がええわ。

ずいぶん気分がよかったんで勉強もはかどりました。
朝は睡眠に費やしたものの午後は晩飯までも晩飯後もしっかり勉強できた。よかったよかった。


ちょっと前から気になっているのは「多様性」という言葉。
これは社会を理解するにあたっての最大のキーワードやと思うんです。

社会を作るのは人。人はどういうものかっつーと、理性的で情緒的でその価値判断は常に揺らぎの中にあるもんだと思う。
それもその人人で育った環境も違えばその中で得たものも違ってて、考え方も立場も違う。
んで、自分を他人に理解させる、自分が他人を真に理解するのは困難だということ。日常的な理解は得られても、その人が得た経験や哲学を共有するのは非常に難しい。交通事故にあった人といくら対話しても交通事故の経験を得ることはできない。

知恵が生まれても、それを得た人が死んでしまえばなくなってしまうんだからそれを新しい人が受け継がなくちゃならない。
で、その受け継ぐ行為が学校や家庭で意識的にも無意識的にも行われる教育なわけだ。

ただし価値観・価値判断は知識ではないからすごく多様なものが生まれる。おそらくその人によって特異的なもの。
すごく高いレベルの知識をもった価値観から極めて情緒的な価値観まで。それぞれの価値観に裏打ちされた価値判断能力は社会の中で個別の価値をもって社会活動に影響を与える。

んで、非常に多様な価値観が含まれる社会を運営するのもそれぞれ個別の価値観をもった人なわけだ。めんどくさい。
社会にある程度大きな影響を与えるであろう人が多様な価値観があることを理解しなかったら、きっとその人の周りはどんどん歪んだ社会ができてしまうんだろう。

価値観だけに絞ったけど、「いろんなものがいっぱいある」のが現実の社会で、これが社会の多様性だと思う。

ずっといろいろな「~学」の勉強してるけど、おそらく~学で多様性は現れてこない。なぜなら学問は不変の法則を見出すものだから。
すごく科学的なものなら研究室で結果がでるのだろうけど、社会を理解しようとしたら社会をありのままに見なければならないんだろう。

ありのままに見ることは難しい。なにかしら現実を見ると、自然とそれに対して態度を作ってしまうから。態度を作るとそれに不協的なものにに対して、それを敬遠するか、自分の都合のいいように認知してしまう。
知らないままに態度が固まってしまうことは知ることに対してすごく損だ。


多様であることを多様であるままに自分の中に取り込みたい。
多様であることを理解してその中で物事を考えたい。社会科学は確かに社会を知る道具になるんだけど、おそらく道具以上の意味はないんだろう。社会が多様であることを知らない価値判断は現実の多様性に嫌われるのではないかと思う。


より社会を見るために今は勉強しなければいけないんだなぁ。
同時により社会を理解するために社会を見なければいけないなぁ。


とりあえず明日も休日なのはうれしい限りです。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

udnkui

Author:udnkui
香川県出身。
京大大学院の博士院生。医科歯科卒。jazz好き。神社巡り好き。独学での法律、政治、経済、経営等社会科学の基礎知識と国会議員、外資投資銀行(米・英・欧)、学際系研究室などでのインターン経験があります。
興味事項:社会、科学、自然、芸術
日々精進してます。

注意事項


Twitter
カテゴリー
月別アーカイブ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブログ内検索
RSSフィード
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。